「一九三三年」解題へ   貴司山治net資料館TOPへ

        未発表小説      一 九 三 三 年

                                        貴 司 山 治

 成田健が警察に捕らえられて殺されてしもうと、成田の上部にいるのにちがいない高宮から、じかのよび出しがくるだろうと、ひそかに期待していた。伊達は合法時代の高宮の顔を知らない。しかし経歴や人間はわかっていた。
 高宮は大学の卒論に「芥川龍之介の研究」というのを書いたらしい。それは別に「芥川龍之介論」という評論にも書かれて、そのころ権威のあった商業雑誌「革新」の懸賞募集に応じて当選し、高宮壮吉の名は、新進批評家として文壇に知られた。
 その高宮が、伊達たちの属する左翼作家同盟に参加してきた時、だれからともなく、彼が学生時代からの共産党員だと言う噂を聞いた。それは警察にわかったらすぐにも検挙されるような危険な情報であったけれど、作家同盟の役員のあいだへは、そういう情報はどこからともなく伝わってくる。
 そのせいか高宮は作家同盟になっても、表立った活動はせず、会合にもほとんど顔を出さなかった。千九百三十一・二年度に伊達は作家同盟の役員として、文学新聞の編集を担当していた。何もかもが非合法化されてゆく中で、伊達は、文学新聞を合法的に発行しようとして、編集に苦心した。そのおかげか、創刊号以来文学新聞は発売禁止、処分も受けず、発行部数も増加、一万部が、一万二千、一万五千、やがて二万部にもなった。非合法の全協系の労働組合では、合法面で活用できる唯一の左翼新聞として歓迎している、という知らせもあった
 そのうち、作家同盟では同盟員の中から、何班もの、街頭販売隊を作って、文学新聞を売る……という活動を始めた。その第何班かの中に、高宮も加わっていて、ほかに、ソビエートから帰ってすぐ作家同盟にはいってきた女流作家の、西村鞠江も同じ班にいる、というような報告を役員会できいた。
 伊達は、女流作家としてもう十年も文壇的に盛名のある西村や、「芥川龍之介論」で新しい文芸批評家として知られた高宮が、そのエリート意識をすてて、そういう下っ端活動に参加していることに、一種の感激をおぼえた。
 もっともそのときに、高宮と西村は知り合って恋仲になり、まもなく結婚したとあとできいて、「文学新聞もとんだ役割を果たしたものだ」と、北叟笑んだものであった。
 西村はその後ずっと、作家同盟活動に参加してきたが、高宮はもぐってしまって、一九三二年の、祝田正義を中心とする、党再建に加わって行ったらしく、合法面へは姿をみせなくなった。
 熱海事件の時にその祝田がやられてしまったあと、祝田の下に働いていたにちがいない高宮が、中心メンバーとなって、あとの再建をやっているだろうことは自然と伊達にもわかっていた。
 一九三二年の暮れに保釈で未決からでてきた伊達が、その翌年二月にたった一度成田にあったときにも、成田ははっきりこういった。
「一九三一年に、古川らはぼくらに教えた、共産党員は、敵に捕まって訊問をうけたら、党の機密はもらしてはならないが、党の政策は堂々と宣伝しろって……ところが高宮はいうんだ。敵の手中におちたら、一切しゃべってはならぬ。かれらに向かっては、絶対無言で押しとうせ、名前だって名のることはいらん。これが鉄の規律だって、どうだい、すごいもんだろう、ぼくらはそういう一段引き上げられた所で働いているんだよ」
 成田が党中央のアジプロ部に属して、高宮の下で働いていることはそれでわかった。そして古川の鉄の規律を、高宮の鉄の規律におしすすめた一事だけにでも、成田が高宮に悦服しているのをみて、およそまだあったことのない高宮の人間がわかる気がした。
 成田はそのとおり実践して、その月の二十日、敵の手にかかって叩き殺された。死をもってかれは高宮の鉄の規律を守ったのにちがいない。
 成田の死は、そのまま高宮の人間をそこに反映しているように、思われた。伊達に伝わってくる高宮は、剛直で不屈で決死で組織人としては百パアセント信頼できる男、といった印翳であった。
 しかし考えてみると、逮捕、拷問、長期刑といったものに逆に鍛えられて、共産主義者の不屈の性格は形成されていく、といわれている。高宮のように、まだ一度も捕らえられたこともなく、敵のテロリズムにさらされたこともなく、学校からそのまま、地下生活にはいってしまった人間が、あえて剛直不屈の組織人だと信じられるのはどういうことであろう。
 それは多分に、三・一五事件以来、うち続く弾圧の中に多くの闘士を失って次第に末細りになっていくこの運動が、多分に高宮のようなは生まれながらの英雄的な個性に依りかかっているのを意味するようだ。それは非常に困難な時期の運動それ自身の不幸をあらわしている、と伊達はひそかに考えざるをえなかった。
 三二年の(熱海事件)で、打ちこわされてからあとの運動は三三年に入ってしだいに小規模になってきているようだった。
 高宮らの手に移った再建は、三二年の花々しさはなく、成田虐殺のような、悽愴な犠牲を生みながら、何か凛烈な、暗い寒さの谷間を渉っているような気味合いであった。
 三二年の祝田の再建活動は、祝田自身の天才的な指導で、中央部は地下深くにいて、第二無産者新聞の廃刊と党機関紙「赤旗」の活版印刷、週刊実現−−−それによる党のセクト主義の清算、大衆化への躍進と、見事な転換をやってのけた。それは、これまでの党史にないような、不朽の業績といってよかった。
 一方この再建党のまわりには、合法面で多くのシンパサイザーの組織が行われ、大学教授、俳優、作家、音楽家、科学者……あらゆる方面に支持者の組織がのび、しまいには皇族の中からさえ献金者があらわれた。
 伊達もシンパの一人であった。それは左翼作家同盟の幹事である伊達には当然の義務のようなものであった。
 ところが三二年の祝田の党は、それらのシンパ網から破綻してきた。伊達が五月に不意に検挙されてみると、伊達の献金表とでもいった書類が警視庁特高一課の、係警部の手中にあるのがわかった。それは金をわたした日時、場所、相手方の変名、伊達の変名など、いちいち事実の通りであった。
 伊達が極秘の方法をこめて党にわたした金の細目を、どうして警視庁が書類にして握っているのか、見当がつかなかった。
 とにかく、それによって伊達は治安維持法で起訴され、三二年後半一杯を、未決刑務所でくらした。
 この時期に警視庁は三百何十人の知名の文化人を検挙して党のシンパ網を壊滅させていた。
 伊達はそれを知らずに、未決独房で、どうしても解けない自分の謎に当面したまま悩み暮らした。
 年末に、予審判事の取り調べがすみ、保釈になって出てきた。留守中の新聞を繰っていると、伊達の目にはまず大森の銀行ギャング事件というのがとび込んできた。それは事件の起こった日の新聞にかき立てられ−−−ピストルをもった覆面の怪漢二人が大森のS銀行におし入り、行員を脅してそこにあった二十万円の大金をさらって逃げた、という記事であったが、翌日の紙面には、その覆面の怪漢がたちまち捕らえられたこと、しかもそれが共産党員であった、ということがセンセーショナルな大みだして書き立てられていた。
 しかしその時、捕らえられた男は、すでにうばった二十万円を、上部の男に引き渡したあとで、金は一文も持っておらず、強盗罪だけがその男にのこった……という事実が、伊達の目にありありと映ってきた。
 二三日後の新聞には、そのつづきがのっていた。ピストル強盗を働いた男から、二十万円を受け取った上部の男というのは、伊達も以前からその名をきいて知っていた、大垣文彦であった。大垣は、マルクスの資本論を講義して、次第に実践に足を踏み入れていった京大教授山上肇の義弟であった。
 大垣は党の家屋資金局に属し、その局長(という名称だろうか?)の杉村に、二十万円を引き渡したあと、身柄だけで捕まっていた。
 三三年一月に、伊達は自分の事件の弁護士を選任して裁判所へ届け出なければならなくて、市ヶ谷の一口坂の途中に住んでいる宇月弁護士を訪ねた。宇月は東北大学法学部教授であったのがフトしたことで大学をやめ、東京に出てきて弁護士を開業したが、だれも事件の依頼者がなく、ヒマで困っている時に伊達と知合いになった。伊達は宇月から党資金を三十円をもらって、自分の連絡している資金局員加藤にわたしたことがある。その時は宇月の名は出さなかったので、警視庁につきつけられた伊達の献金表に、宇月の名はなかった。
 伊達がそのことをいって、まず宇月にわびると、宇月はそのころの資金局はまもなく家屋資金局と改まり、資金づくりの外に、党幹部の住居、集会場所の設営、地方委員の上京した時の宿泊場所……などを一手に引きうけてやっていた、という話をして
「その局長が杉村というんだ。党内では一名オッサンでとおっていた。もとは綿部正之助の南葛労働組合にいた生えぬきの革命的労働者で、綿正に選ばれて、大正十年とかにモスクワに潜行し、クウトベ(編注:モスクワ東方勤労者大学、1921年設立、国際的な共産主義活動家養成大学で後にルムンバ民族友好大学と名をかえ現在も存続している)に入学した。成績優秀で共産大学に入れられ、そこを卒業してずっとモスクワにいて日本からくるクウトベ留学生の指導をしていた……それが一九三一年の暮れに日本に帰ってきて風祭や祝田とともに党再建をはじめた、その経歴からいって、杉村は当然幹部中の幹部だ。シンパ網を広げて、△△宮さまにまでカンパの金を出させたり、有名文化人の間に、広範に党支持者をふやしたり、それから君、大森の銀行ギャングの計画、熱海の全国代表者会議……などはみな杉村の、イニシアなんだ。ところが、大森の銀行事件で、祝田やその他の幹部がどうも杉村のすることがおかしいと、疑い出したんだ。杉村は、大垣から受け取った、二十万円をどこへやったか、他の幹部にいわないんだ。祝田などがだいぶ問い詰めたらしい。その時、杉村がどう返事をゴマ化したか、そこまではわからないが、君、いずくんぞ知らん。その時は、二十万円は、天利特高第一係長の机の曳き出しの中にあり、まもなくそっくり手つかずにS銀行の金庫へ返された……これは今でも極秘の情報だからそのつもりでネ……しかしこれで、杉村の正体は分かったろう。杉村は十何年前に、内務省警保局保安課長が、綿正の南葛労働組合−−−その時は、もう東京合同労働といっていたかナ−−−そこへ潜入させたれっきとした保安課員なんだ。東京高裁で、佐野や鍋山を転向させた坂口判事が高等学校のぼくの同級生でね、一夕二人きりの宴席で、極秘談としてじかにきいたんだ。もっとも、今の保安課長が直接杉村を綿正の所へ潜入させた本人じゃない。二代前の警保局長の時に、川見保安課長のしたことで、ずっと引継事項になっていたんだそうだ。ずいぶんな深謀遠慮じゃないか、とぼくが感嘆すると、坂口のやつ、なーに、川見という男が綿正の所へ自分の部下を三人入れた時は、綿正が共産党組織をやるにちがいないから、それに参加させて、あとの情報をにぎろうというまでの企画だった。その三人のうちの杉村を、クウトベへやったのは杉村の正体を見破れなかった綿正さ。そのクウトベ学生の杉村を、共産大学に入れたのはソ連当局だ。向こうが、与えてくれた役割に杉村が乗って行ったまでだ、というんだ。ま、偶然そうなった、という話さ。
 それにしてもレーニンの時代に国会議員になったスパイがいたが、杉村はそれどころじゃない国際仕込みのスパイだ。三一年に日本に帰って風祭や祝田とともに党再建をやったのだから、三二年の党内部は逐一警視庁の天利特高係長や内務省警保局長へ筒抜けであったわけだ。シンパ網を拡大して、だれからいつ、どこで、何十円、何百円受け取ったという報告も刻々に天利の手もとへ集まっていたといえる。伊達君の出した金も、まともな党活動に使われた部分もあったとは思うが、結局は当局への献金であったわけだ。」
 おしゃべり好き、情報好きの宇月は興にのってしゃべった。青くなって生色を失っている伊達の前で、宇月はこういうこともしゃべった。
「ギャング事件とちがって、そのあとの熱海事件はまだ報道禁止で、詳しいことは新聞社にもわかっていないんだよ。ぼくは解禁時の発表原稿を、やはり坂口からみせてもらった。まもなく発表されるだろう。なかなか花々しい大捕物陣だ、世間はアッとおどろき、その事件に眼をうばわれるだろう。しかし、ぼくは意外な発見をしたね。党委員長の風祭や、委員長以上の実力者だった祝田など幹部全員が捕まったのは、熱海ではないんだ。幹部は熱海へ行かなかった。で、その翌晩、それぞれ東京の街頭で、かれらは杉村との連絡場所で、警視庁特高隊に襲われてやられているんだ。組織部長の森山などは杉村しか知らない鎌倉の住居にふみこまれて捕まっている。その杉村という苗字を発表用記事にちゃんと書いてあるんだ。執筆者は多分杉村を党側の人間として扱おうというつもりで、……一種の錯覚だね、却って尻尾を出してしまっている。その後、杉村は捕まっていない。幹部全員を特高に引き渡したあと、消えてしまっている。検挙者、起訴者の名簿もみたが、杉村ないし杉村に該当する幹部はいない。やっぱり杉村は、ちゃんとした向こう側の人間であったとわかるんだ。これはおどろくべきブルジョア対プロレタリアの階級闘争図だといえるね、伊達君なども関連した犠牲者なのだから、杉村のことをもっとよく調べて小説にかくべきじゃないか……すごいプロ文学ができるぜ」
 宇月はその時から十何年たった戦後に、社会党と民政党の連立内閣ができた時の司法大臣になった男であるが、早くから伊達などの書く小説の読者でもあった。だから杉村のことも、結局小説の題材として伊達が書くようにとの興味からしゃべっているらしかった。
 それだけに宇月の話にはフィクションもまじっていたかもしれないが、伊達はこの杉村の話に、すっかり打ちのめされてしまった。
 伊達のような主体的な党意識を持たないシンパであっても、この運動の行手に、絶望を感じてしまった。日本の革命的社会に、肝じんのシンがぬけてしまっているような落魄感。同伴者としてやっとここまできた伊達のような一作家が、あしたからこの現実のなかでどう主題を樹てていけるというのだろう?
 およそ十年来の日本の革命闘争は、ここまできて根こそぎの敗北を喫するように仕掛けられていた模擬的な運動であったのか?
 たとえ杉村は姿を消してしまったとしても、だれが、どのようにあとの運動を再建するというのか? 再建された運動は、今度は本物として信じられるというのか?
 伊達が一人でそんな風に打ち沈んでいる時に、成田の使いにやってきたのが小野麻江であった。かの女はもう二年も未決に閉じこめられている党員小野梅吉の妻で二人の子の母であった。それでいて自分も入党し、成田の下で働いていることを伊達に名のって、成田が伊達にあいたいといっている旨を伝えにきたのであった。それにしても麻江には二人の子供の外に、家には八十すぎたおバアさんがいる。かの女には家族ぐるみのたたかいといえる。伊達はそこにわずかに蝕まれていない本物の部分を見出した思いで、唇をかみしめ、成田にあう約束を麻江にした。
 二月十六日の夜、伊達は指定の場所で成田にあった。成田の話は伊達に作家同盟の役員会に戻って、役員会内の三人の反党派とたたかってくれという要請であった。半年前にはその役員会から「右翼偏向だ」といって追い出した伊達に、今度は戻ってきて反党派とたたかえというのだ。それは矛盾していた。ワラにもすがるといった成田の焦りからきた便宜主義だと思った。しかし笑えなかった。成田の立場に同情して、かれの要請にうなづき、その夜は別れた。
 そして、四日たった四月二十日の全国の新聞に成田が捕まって殺されたとデカデカの記事がのった。それも、彼が共青の東京市委員会のキャップの男との連絡場所で捕らえられたのだということがすぐにわかった。どす黒い内出血が死臭を発しかけている成田の死体の前で、寒いお通夜をしながら、伊達の心は暗い底なしの海に沈んでゆくようであった。やっぱりスパイは深く食い入っている。四日前に、あとの連絡をいわなかった成田は、こうなることを虫の知らせで知っていたからだと思う錯覚に何度でもとらわれた。


 三月に入って、やっと伊達は自分を立てなおし、一九三二年の地下鉄ストライキを題材にした長編小説をかこうと思い立った。「唯物弁証法的創作方法」という作家同盟の三二年度のスローガンが、何のことやらわからず、「第一舌をかむようで一口でいえないじゃないか」などと作品研究会の席上で揶揄的に放言したのがたたって、成田らに「追放」された伊達だったが、獄中でよく考えてみた。それは労働者の典型的な実際の革命闘争に参加し−−−それができなければ十分に調査し、実感して、それを作品に描くことだと、解釈した。
 一九三二年春の地下鉄のストライキは従業員中の共産党員の創意で企てられ、会社が屈服して要求を容れた、という珍しい闘争であった。伊達はすぐその中心メンバアに連絡しようとしたが、みなまだ警察に捕まっていて方法がなかった。
 そのうち、伊達自身がやられてしまい三二年後半を未決で暮らした。
 で、三三年の三月に入って、幸い全協交通運輸労働組合のオルグとして、この時のストライキを指導した辻本が伊達を訪ねてきたのが、伊達が元気をとり戻すきっかけとなった。辻本は時々伊達の所へ活動資金をもらいにきた男だが、ずっと非合法の全協交運で働いていた。辻本は、その後起訴猶予になって出てきている地下鉄の旧党員を探し出して伊達の所へつれてきてくれた。
 伊達はその旧党員からストライキの経過談をききとってメモをつくった。辻本の協力で、そうした旧党員が何人も伊達の所へくるようになった。
 みな警察であやまって起訴猶予になった連中ばかりだから、それは死んだ党員というわけであった。それでもかれらを集めて話をきくという仕事の公然性はない。
 用心して、伊達は浅草の花川戸の横町にある倉庫の二階を臨時に借りてそこへ旧党員を一人づつ呼んで談話をとった。唯物弁証法的創作方法という七むつかしいスローガンを、やっと具体的にほぐして、それで「地下鉄」と題する長編小説がかけそうだと、伊達はその仕事に打ち込んだ。
 もうそのころ、社会主義リアリズムということがソ連で唱道され、唯物弁証法的創作方法−−−に拠っていたラップは解体され、ゴルキイが新ラップ組織の最高指導者になった−−−というニュースが日本へも伝わってきたが、「何を言っているんだ」とばかり伊達は社会主義リアリズムには耳を貸さず「地下鉄」に専念した。
 高宮からの呼び出しは、伊達がしきりに花川戸のアジトへ通っている三月下旬にきた。 その使いもやっぱり小野麻江であった。麻江は女の子をおんぶしてやってくると、伊達の前でその子を下ろし、胸をはだけて乳房を含ませながら
「高宮さんがあんたにあいたいっていってるんですけど……」
 茶飯事のようないい方をした。
「多分そういうことになるだろうと思っていたがネ」
 伊達はさりげなく答えた。高宮にあえばきっと困難で危険な役目が伊達の肩にのしかかってくる。にもかかわらず、何か期待にはずむような感激に似たものに心がみたされてくるのが不思議であった。
 それはこのあいまいな現実のなかで、高宮が一点の疑いもなく信じられる純粋分子だということ、その男からよび出されたことへの感激であったのだろう。よび出されることをひそかに期待していた、その期待が満たされたのだ。
「しかしお麻さん、あんたも何くわぬ顔をしてよくやるね。やられたらどうするつもりだ」
 伊達は麻江の姿にもひそかに感激していた。
「そうね、仕方ないから一人を背負い、一人の手を引いて刑務所の中へ入っていくわ。だってあたいがいなくなれば子供二人は餓死するわよ。刑務所のなかで母子三人でくらさしてもろう。おバアちゃんは養老院へ行くようにいいふくめてあるの」
 美貌で、しとやかで家庭的な感じの麻江が、その実とてもシンは強情だということを伊達は知っている。たえず夫婦喧嘩をして、夜中の十二時だというのに二人で伊達の家へよくやってきた。くるなり麻江は「喧嘩はもうすんだの。あたい、先へねかせてもろうわね。」と伊達の書斎の長イスにころりと横になって、すぐイビキをかくのだ。梅吉がそっとあり合わせの毛布などを上からかけてやりながら
「ホラ、君、これ、もろよ」
 とノドと胸をひらいてみせる。爪傷か咬み傷か、梅吉の体のいたるところに生傷がついていて、淡く血がにじみ、それがもう黒くなりかけている。胸の傷などはまさに咬み傷のあとだった。「そんな所、わざと咬んでもらったんだろう」といってやりたかったが、薄く笑って伊達はだまっていた。
 それが三年前のかれらの生活だったのだ。その梅吉は、もうずっと未決で暮らしている。どうやら転向しかけているといううわさが外部へ伝わってきている。そうなると麻江は転向党員の妻だ。しかし自分は転向せず、母子ぐるみで警察へでも刑務所へでも行く気でいる。そんな気で、成田や高宮の下で働いているのだから、彼女の気持ちはさぞかし複雑であろう、と思う。
 高宮には花川戸の倉庫へきてくれるようにと、麻江にたのんだ。その場所は小さな紙片に書いてわたした。その倉庫は入口の一部が畳みじきになってそこに倉庫番の老人が暮らしている。その二階は八畳と六畳の二間あって奥の六畳には畳がしいてある。伊達はそこで地下鉄ストライキでクビになった元党員や共青メンバアを文学サークルにまとめ、その談話をメモしていた。
 地下鉄のストライキは、そのころしきりにいわれた「党の独自的闘争」のお手本のようなストライキであった。職場の全員が空っぽの車を坑道の入口に止め、そのうしろの二台に従業員のほとんど全員が立てこもって口々に要求を叫んで気勢を上げた。警察も会社も、それを持てあまし、ようやく交渉委員三人を外へよび出して、結局かれらの要求のほとんどを容れた。
 その経過は、全国の新聞に書き立てられたので有名になったが、解決後に、警察は党員と認めた「首謀者」を十数人検挙して一人一人にテロを加えた上で釈放した。会社は勿論クビになっていたので、辻本は根気よくそれらを探し出して伊達のところへつれてきた。
 そのメンバアが九人になった。伊達が花川戸の倉庫の二階で話をきいてみると、それは殆ど無抵抗のうちに地下鉄内に生まれた党細胞と同盟細胞の活動であった。警察や会社のスキ間に乗じてできた稚い組織であった。だからその組織はすぐにつぶされて、会社のなかに、もう積極分子はのこっていなかった。
 高宮にあう約束の日も、一人の共青員であった十九歳の林ミチ子の話を夕方までノートした。
 約束の時間に、高宮は倉庫の階下入口へ姿をあらわした。ミチ子が階段を下りて行って高宮を二階に案内してきた。ミチ子はそれををだれか全然知らなかったが、あってみると伊達は一度か二度、作品研究会でみたことのある顔だとわかった。
「しばらくだね」
 高宮は灰色の背広を着て、ネクタイをきちんと結んでいて、高等学校時代に、柔道三段だといわれたがっちりした肩口と、沈んだ腰つきをもっていた。
 そして、伊達の正面にあぐらをかいて、やはり用心深そうにあたりをみまわした。
 高宮の顔を間近くまともにみるのは、伊達には、はじめてである。
 まだ何も話さない間に、ミチ子が階下のじいさんの所から、番茶を入れて運んできた。「林さん、お客さんとぼくの靴をこっちへもってきておいて下さい。あなたはもうおかえりになって結構です」
 ミチ子は何を感じるのか硬い顔になり、「はい」と答えて、そのとおりにして、やがて帰って行った。
「ぼくは高宮君の顔をハッキリ知らないので街頭では、うまくないと思ってこんな所へきてもらったんだ」
 五つ六つ年下のはずの高宮に対して、伊達の言葉はひどく改まった。高宮を党再建の中心幹部だと思うからだった。
「ここはアジトなどといっているんですが、実は……」
 と、伊達はこの二階を使用している目的を話して
「危険はないと思うのだが、万一の時はこの窓から出て屋根のはしに立っている電柱を伝って下りたら小学校の庭です。靴はここに……」
 高宮は軽くうなづいて、それまでの硬い顔の筋を和らげた。そしていきなりこういった。「伊達君に、党を援助してもらいたいんだけどネ」
 伊達は高宮がそれを切り出したら、すでにそのことで治安維持法で起訴され、保釈中という自分の立場をいうつもりであった。しかし伊達は自然と予定とはちごういい方をしていた。
「ぼくは保釈中だから、絶対にバレないという確たる保証があればネ」
 高宮はそれに対して三二年の党の破壊された導入部がシンパ組織にあったこと、そこは党の一番軟弱な小ブルジョア化した部分であったこと、あとの再建にあたって自己批判の上、党のまわりに、やたらに弱体なシンパ組織などを作らないことにした、シンパは党員なみの強さを認められた特定のメンバアを厳選し、幹部がそれぞれ大丈夫と思う人だけを組織してその名前は幹部会でも互いに報告しないという方針をとった、ということをおちついて語るのであった。
 伊達は高宮の前で長いこと考えこんだ。かなり意見が違うのだ。で、かれはいった。
「ぼくは殺された祝田正義のとった党大衆化の方針は、非の打ちどころのないすばらしいものだと思うね。三・一五以来、あんなことをやった指導者はいない。シンパの組織……資金網がつぶされたのは、そこが小ブルジョア化した弱い部分であったからではない、その点はあんたとちごう。ぼくを例にとっても、やられてみると、出した資金の明細表が向こうにちゃんとあるんだ。それを受け取ったのは党の幹部だ。杉村だ。その杉村が何者であったか、今では高宮君だって百も承知だろう。くさっていた弱い部分はシンパ組織ではなくて、中央部の一角ではありませんか。そのために、ぼくはやられて今も保釈中だし、成田は殺された。しかも成田は杉村などのいなくなったあとの、清浄になったはずの組織の中で、スパイにひっかかって命を落としている。弱いのは組織、信じられないのは中央部ということになる……」
 高宮は伊達のいい分に対して、ひどく怒った顔になった。高宮の「自己批判」の前半はまちがっているのだ。それにまきこんで、祝田のやった仕事の歴史的意義をまで見落としてしまっているような高宮のいい方に、伊達は不安をおぼえた。この人の性格は鉄のごとく強いとわかるが、現実認識が若いのではないか……高宮がまだ二十四歳の男だということを麻江からきかされていた伊達は今になってそのことにも心細さをおぼえた。
 高宮は伊達に対して、ムッとした青白い表情を浮かべている。
「じゃ、君は党中央部を信頼しないというのかね……」
「そのとおり!」
 高宮は己の唇をつよくかんで伊達をみた。
「それじゃまるで話にならんじゃないか」
「中央部を信頼しないが、高宮君は信頼しているよ、絶対的に……」
 と、伊達は薄く笑って
「でなけりゃここへきてもらいはしない」
 高宮はとたんに、微笑した。なアーンだといった表情になった。伊達は三十三歳になっていたが高宮が二十四歳であることを、かれのその微笑の中から再び感じ取った。
「先にもいったとおりぼくは杉村にひっかかって牢屋に行って来た人間ですよ。杉村のような物すごいスパイがいたことは、必ずしも高宮君の責任ではない。しかしもう杉村はいなくなったのだからあとは大丈夫だというなら、成田はどうして殺されたのだ、という詰問を高宮君に出さなければならなくなる。そういう事実に十分責任を持つことがシンパ組織再建の基礎になる。それは今君のいうとおり、各幹部がめいめいシンパをつくり、互いにそれを報告しないという取り決めで十分だと思う。それならぼくは安心して高宮君の相談に応じますよ」
「うむ……」
 高宮は伊達のいうことを納得したらしい。
「ではぼくと定期的に連絡して毎月三百円くらい集めてもらえないかなあ」
「三百円は無理だ。正確な所ぼくの分もいれて百円がせいぜいだ。それも月によって欠けることもあると思う」
 話が商人の掛引のような気味合いを帯びた。高宮は困ったように額に皺を寄せて
「各幹部が月五百円以上集めるという申し合わせなんだがネ。今までのシンパ網は全然使えんし、やってみると異常に困難だ」
 高宮の眉間に大きな疵痕のあるのにこの時気づいた。それがまるで敵からうけたテロの痕のようにみえた。
「合法面で、党資金を、おいそれとだれからでも集めらるもんじゃない。それこそ出す相手は弱い小ブルジョアだからね、うかつには切り出せない。範囲は極めて狭くなる。三二年の経験があるから尚更……」
「よし!」
 と高宮は自らうなずいて
「それは君にまかせよう。せいぜいかせいでくれないか」
「念を押すが、中央部が何人いるか知らないが、絶対にぼくの名をそこへ出さないでもらいたいね、この仕事はあんたとぼくのあいだきりということにかたく……」
「わかった」
 高宮はミチ子の汲んでおいたお茶をこの時になって手にとった。ひえたお茶を一口のんで
「つぎの問題は作家同盟のことだがね」
「うん、それは成田とも約束した。しかし成田が殺られてから情勢は更に悪化してきたね。ことに治安維持法の改正案が今月中に通過すれば作家同盟員でも維持法にかかるというので、同盟の役員会へは、内容証明付きの脱退届などがくる。法廷で同盟脱退を声明して執行猶予になったのもいる。このまま『日和見主義とたたかえ』と呼号するだけでは頽勢はくいとめられない。どうすればいいか、この際高宮君の意見を聞いておきたいね」
「うん、その点について君に、池上とあってもらいたいがね」
「それはいやだ」
 伊達はハッキリことわった。池上久夫は思想の弱い性格のお粗末な男だ。その池上がもぐっていて、当然成田の代わりをつとめていることはわかっていた。
「ぼくは合法面にいるのでネ、池上のような男にラクをとるのはフルフルいやだね」
 伊達が顔に不安をあらわしていうと、高宮は苦笑して池上の話を引っこめた。
「もう一つ、君に成田の作品全集刊行の仕事を引きうけてもらいたいんだ」
「フーム……」
 伊達は唇をかたく閉じて苦渋の顔をした。
 成田の死後、作家同盟では成田健全集出版の計画を立て、その第一巻をすでに出した。
 すると、もぐっている池上が文化連盟の書記長をかねていて「成田の全集は文連で出すべきだ」と猛反対をして、第二巻以後の刊行がとまっていた。きけばその後それは党中央委員会が刊行するのが正しいということになって文化連盟でも手をつけないでいる……という話を伊達はきいていた。まさかと思った。
「それは党中央部で出すことになっているんじゃなかったんかナ」
 高宮はうなづいて
「しかし力が足りなくて、今すぐ出せそうにもない。結局ぼくに一任ということになった。で、ぼくの責任において君にやってもらいたいんだ」
 伊達は高宮の話がもどかしくなった。
「非合法出版が可能な状態かどうか、考えてみなくちゃ……作家同盟にやらせておけばもう第三巻ぐらいは出せていたと思う。それをしいて党中央委員会刊行とすることによって、合法的に読める成田の作品集を全部非合法化してしもうことになる。その必要があるのかねエ。もし成田の作品をより広い大衆に読ませるようにするのが目的なら、文連は勿論、作家同盟で出すのすらやめて、普通の商業出版社か、超党派的な大衆の手による成田全集刊行会かをもうけてそこでやらせるようにするのが本当だと思うがネ、ぼくの考えは『右翼』的かしらん」
「何しろぼくが一任されているので、君の意見を土台に二人で考えてみよう」
 夜が更けたようであった。
「時間はいいのかね」
 ときくと
「今夜はあとの連絡はなくしておいてきたんだ。どうせ君とのこういう相談は長くなると思ったんでね」
「君、めし食ったの?」
「まだだ」
「食べにいこうか?」
「安全な場所、あるかね」
「言問橋の向こうに、ひっそりとした鳥鍋屋がある。そこの小部屋は大丈夫だと思う」
 まもなく伊達は高宮と並んで外へ出た。夜の往来は暗かったが春めいていた。言問橋がうす白い隅田川の上にひっそりと巨大な胴体を横たえていた。二人はその橋を向島の方へ渡って行った。並んで歩いてくる高宮の肩口が伊達の肩にふれた。その感触をいつまでも記憶の底にとっておこうと思った伊達は
(一九三三年三月二九日……の夜か……)
 と心の中でつぶやいていた。                       (了)   TOPへ