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       「ゴー・ストップ」発禁初版復刻・解  題

              伊 藤  純

 貴司山治の小説「ゴー・ストップ」は、1928年8月〜29年4月の間「進め・止まれ」という題名で、京浜地帯の勤労者に人気のあった夕刊紙『東京毎夕新聞』に連載された新聞連載小説である。
 東京硝子という下町の300人規模の工場を舞台として、待遇改善のストライキが組織され、紆余曲折の末に要求を獲得する。その経過が、さまざまな人間模様を綾なしながら描かれるが、最後は、全国的な左翼大検挙「三・一五」の荒波にのみこまれていく、という波乱の物語である。この小説は新聞連載中から非常に好評を博し、1930年中央公論社から単行本として発刊された。四日後に発禁となったが改訂版を再販し、数万部を売ったとされる。この小説は、昭和13年まで続く貴司のプロレタリア作家活動の最初の作品であり、また、通観してみても“プロレタリア大衆作家”としての代表作というべき作品である。
 「ゴー・ストップ」は、一般読者には縁遠い「労働運動」「共産党の組織活動」といった事柄の表裏を面白く物語る「大衆読み物(いわゆる“真相もの”)」であると同時に、労働者の抵抗運動、組合を組織し要求を貫徹していくための基礎知識、マニュアルともなるように書かれている。官憲はこの「労働運動の手引き書」的性格を目ざとく認識しており、後年治安維持法違反で貴司を捕らえた特高刑事は「ゴース・トップは共産党宣言のような小難しい論文よりもはるかに悪質だ。ゴーストップを読んで組合を作ったというヤツが一杯いる」と述べたという。
 ところで、「ゴー・ストップ」には、以下のような版がある。


1)初出新聞連載版:1928年8月〜29年4月の間「進め・止まれ」という題名で東京毎夕新聞に連載された。掲載紙は国会図書館などにもなく、後半分の切抜のみを、秦重雄氏からご恵贈いただいた。
2)初版発禁版:1930年4月新聞掲載稿に大幅に手を加え中央公論社から単行本として発行。労働大衆版などと書いてある。(直ちに発売禁止になった)
3)戦前改訂版:発禁の20日後に検閲に対応する改訂を加えて発行された。但し貴司の戦後の記載(私の文学史)によると、一部は外箱に改訂版と印刷しただけで、中身は改訂前の版をひそかにいれて売ってしまった、とある。
4)春陽堂文庫版:1932年、貴司が拘禁中に徳永直に依嘱し、作家同盟の批判に対応すべく改訂し、春陽堂から文庫として発行された。
5)戦後改訂版(三一書房刊):戦後1955年、春陽堂文庫版に極力近似させるべく貴司自身が記憶によって(この時点で春陽堂版は貴司の手元になかった)改訂を加え「最終版」とした「戦後改訂版」。

     −−−−戦後改訂版のための赤字が書き込まれた初版本−−−−


 書き起こしは、貴司が自ら「最終版」とした戦後改訂版に基づくのが本来とも思えるが、この改訂は、執筆当時の「芸術大衆化論争」の中での作家同盟や蔵原惟人の批判に屈服し、物語性を大幅に減殺し、しかも検閲を配慮した微温的な言い回しも大部分温存されている、という性質のものである。
 なぜそのような版を戦後、検閲や規制が無くなった時代になおかつ「最終版」としたかは一つの謎である。おそらくこの「最終版」を刊行した1955年という時期に貴司は「唯一軍部に屈服しなかった非転向の民主勢力」として大きな影響力を発揮していた日本共産党、その非転向の文化指導者蔵原惟人に帰依する心境に立ち至っており、かっての作家同盟幹部らの批判を追認する気持ちになっていたことが大きな要因と想像される。この間の消息については、貴司自身の三一書房版に付された「著者自身の解説」と「わが遍歴」という小文にいくらかの心境が述べられているので、あわせてこのWEB上に採録してある。
 それらの経緯はあるにせよ、読みくらべてみればやはり初版が明らかに生き生きとした、あの時代に生きている作品と感じられる。理想をいえば、日々の読者の反応を受けながら執筆していった新聞連載版がもっとも復刻するにふさわしいものではないかと思われるが、残念ながらその全部を手に入れることができない。従って、この書き起こしは、初版本の復刻を目指して作成した。
 このように、この書き起こしは初版本に戻すことを原則としたが、以下の点に配慮して若干の改変注記を行った。


1)伏せ字起こしは、著者による三一書房版のための書き込みに加えて、編者の理解に基づいて行った。
2)読みにくい旧仮名遣いは現在の仮名遣いになおした。
3)最近あまり使われない漢字などは、一部ひらがなに、旧体の漢字は現在の簡略体にした。ただし当時の雰囲気をとどめるために残したものもある。
4)初版は総ルビになっているが、これはとてもパソコンでの書き起こしでは対応できないので割愛した。現代ではとうてい読めないと思われるもの、特殊な読み方を指示しているものは、一部( )で読みを示し、さらに今となっては意味が通じないと思われる単語には簡単に語釈を示した。
5)その他、当時の常識として当然のように使われている言葉で、現在ではその含意がわからなくなっているものについては、分かる限りできるだけ注記を加えた。

                              (2002/8/25復刻書起こし  2005/11/22整理校正済)