解題「小林多喜二虐殺前後の人間群像」へ 貴司山治資料館TOPへ
小説 子 <初稿による復刻版>
貴 司 山 治
●編注・伊藤純 2003/6/11
・この小説は、小林多喜二が築地警察署で拷問虐殺されたその数ヶ月後に、当時タブーであったそのこと自体を、検閲をかいくぐる形で書いた異色の作品である。(詳しくは別項解題「小林多喜二虐殺前後の人間群像----貴司山治の小説「子」について」に記す)
・ここに復元したテキストは、初稿と考えられる作者自筆の生原稿により、できるかぎり原文に忠実に、旧仮名使いなどもそのままにした。ただ、貴司自身の仮名使いや漢字使いは必ずしも統一されておらず、発音に沿った現代風の表記も混在しているが、原則としてそのままにしてある。
・また、この生原稿には、雑誌掲載後に、恐らく出版を予期したと見られる多くの修正が加えられている。しかしここでは、この修正によらず、修正前の生原稿の文言を読み取って復元した。
この修正は確かに文章を読みやすくしているが、反面、初稿の緊迫した緊張感が失われているという感も禁じ得ない。特に最後の第六章の修正は、その弊が大きい。この実態は上記解題で説明してある。
・なお、この作品は多喜二虐殺の半年後の1933年8月号の雑誌改造に、初稿にもとづいて、しかし多くの伏せ字と削除を伴って掲載された。この復刻では、当時の言論抑圧の雰囲気を伝えるため、改造誌上で伏せ字とされた部分を青太文字で表記してある。
・今ではほとんど理解不能と思われる言葉については、簡単な注を加えた。
初稿原稿一枚目
小説 子 貴 司 山 治
(一)
「パ、パ……。」
「………。」
「パ、パ……。」
「………」
「ぱ、ぱ−−どうしたい?」
「……プー。」
「ようし!」
「あッぷう…‥…」
「さう、さう。」
すると子供は、ハッというような声を出して体を雀躍りさせた。マントを着た父親の肩の上に、小さな両足をぶら下げて、子はのつかゝつてゐた。−−父親の額に乳臭い掌がぺたりとくつついた。
「痛いぞ。」
子供は母親に似て、眼尻の上った黒い眼をみひらいて、左手で父親の頭髪を用心探くつかみ、右手をのばして、かれの網膜にうつつて来る珍らしいものをつかみとらうとしてゐた。
子供の柔い頭脳の中は冴えざえとして、非常に気嫌がよかった。たった今「梅園」で休んで、母親のおつぱいをのみ、下腹の方で気になつてゐたぬれたおしめも、とりかへて貰ったばかりだつたので………。
馬道を歩いて食べ物店などのごたごたする横町から六区の方へ抜ける細い通りで、かれはいきなり、体にうける空気の比重が違ったやうな気がした。自分を抱いてゐた父親がマントをはねあげ帽子をぬいで、いきなり、両手で小さな体をさし上げ、肩車にのせたのである。これはかれの鋭敏な神経にとつて始めての異様な衝動だつた。
おどろいて、啼き声が咽喉を軽くせりかけたが、満腹で少しにぶくなつてゐる爽やかな頭脳の方で、やんわりとしやっくりをもみけした。それに、すぐ目の前に母親の顔が笑ってかれの方を見上げてゐたので、----母親の顔は家にゐる時より(化粧のために)いくらか白いのと、その白い首がみなれぬ着物の中から生えてゐるのとで、少しへんに思へたが----かれは今のんだ乳の匂ひを網膜にうつる母親の笑顔の中に思い出して、急に自分も天気晴朗となつて、足を打ちふった。
その時、父親が自分を肩にのせて歩きながら「パ、パ」をやり出したのである。父親が「パ、パ」と催促すると、すぐに「プー」と唇を鳴らせて吹いてみせるのが、このごろの自分の癖である。
よつぽど気に入つた時は、「あッぷゥ……」と豪い勢ひでやつてみせる。その時、小さな唇がひよつとこのやうになつて、淡い唾液の飛抹が、父親にしろ、母親にしろ、抱いてゐるものゝ顔にとびかゝる。母親は時々自分のひよつとこの頬べたをつかんで口をあけ、指をさしこんで齦をさぐつてみるのである。
「どれ、まあちゃんはもう生えたの?」
かれは生れて七ケ月になるけれど、まだ歯が生えてゐない。お医者にみせると「男の子は遅いのだし、そんなに早く生えない方が却つてあとで歯の丈夫なしるしです」といふのだが、母親は医者の言葉がお世辞だか本当だかわからないと思ってゐる。
「あら、あんたのメガネをとらうとしてゐるのよ。」
「へえ……。」
父親は立ち止り、子供が父親の額越しにしたがってゐることをしやすくさせてやるやうに、笑ひながら顔をあふむけた。
その時、父親の眼鏡に、二月半ばの、今年は例年になく早くも春めいた、うすみどりの晴れた空がきらりと映った。同時に、かれの頭を淡い、けれども耐えられない感懐の影が鳥の翼のやうに通りすぎて行った。山村達と別れた季節が何時の間にか叉やつてきてゐるのだ。丁度去年の今頃、いま父親の肩の上にのつかっているものは、まだそこに立つて父と子の「芸当」を見物してゐるかれの妻の胎内にゐた。その頃、ある文学団体の仕事に携はつてゐる父親の多くの友達は、続々と牢獄に送りこまれてゐた。父親はその属する団体の与えられた部署で、まるで機関車の火夫か何ぞのやうに働いてゐた。ねるひまも何もなかつた。秋から冬へ、その団体の非公然編輯部で、数人の仲間と朝から夜中まで、夜中から朝までといふ風に、石炭をもやしつゞけてゐた。長い大きな列車を目的の方向へ走らせつゞけるために。
かれの前には痩せた細い----かれの先輩で、何百人といふ多くの仲間からもつとも尊敬されてゐる詩をかく男がいつも熱心に、コツコツと働いてゐた。夜のあける前にはよく温度が氷点下何度と言って下ることがあつた。寒さに耐へられなくて、汚い、戦場のやうになつた部屋の中で、古新聞や反古を燃やした手を焙つてゐる山村の、疲労から来るわびしげな表情が、やがてくずれると
「ね、君、早く春が来るといゝね。」
と雑談で仕事に合ひ間を作らうとするのだ。
「あ、いけないいけない、これはたしかによくない癖だね。」
話がはずみかけると、山村はあはててペンをとり上げ、片づかないでゐる原稿の方へ向ふのである。二月になつて、他の部署に働いてゐる友人たちが嵐に見舞はれ始めた。山村の友達で山村と代る迄、この部署にゐた小野も持って行かれた。
早く春が来るといゝ----山村が冬中、仕事に埋もれながら待ちに待った春が----さういふ形でやつて来たのだ。春の嵐が……
今も覚えてゐるのは、三月十四日の夜どほし、山村たち五六人の「部員」は編輯所で夜を徹した。「あしたは十五日だね」といひあいながら。バットのすひがらだらけになつた火鉢は片隅の方に忘れられてゐた。さすがにもう暖かく、白々と明けて来る戸の外の明りの中に、屋根の瓦にも、隣の石屋の庭の石を置きちらしてある地面(じべた)にも、霜柱がなかった。戸を少しばかりあけると、珍らしく朝の空がうすみどりだつた。爽やかな風が、赤茶けた空気のよどむ部屋の中へ流れこんで来た。それが不思議な感じだった。その感触を頬先きにうけたらしい山村は仕事の手む休めて、顔をたあげた。そして、かれと顔を見あつて、微笑んだ。
「二十分程早いが、散歩して、朝飯にしようか?」
「うん……。」
外へ出ると、山村は疲れた眼で、うすみどりの空をみ上げた。そしてこの大気中のどの辺かを通りすぎ始めた春の微風にきゝ耳を立てるやうな表情をした。もう春なのだ。二月以来、失はれた友人たちのことが互ひに考へられた。
「この通り君のいふ『春さきの風』が吹いてゐるぜ……。」
「そうだね。」
と、山村は裾をまくつて、郊外の赤土道を歩いた。
「もし、必要があるならば、君はすぐに暮らし方を変へる方がいゝと思ふね……。」
かれの言葉はだしぬけではなく山村の耳にひゞいた。二人はそのまゝ一町程歩いたが、女子大学の白い塔がみえる所まで来て、
「僕も考へてみるよ。」
「考へてみる必要なんか、もうないのぢやないかね。」
山村は「うん……」と答へたまゝ何もいはなかった。
二人が、散歩の道からかれの家へ廻って来た時は、二人とも裾が朝露にぬれてゐた。かれの細君はもう起きて「編輯所」の人達のために、胎んでゐる体を働かせて、みそ汁をたいてゐた。表がまだしまつてゐたので、台所からはいる時に山村は「すみません」と細君にお辞儀をした。それは自分たちのために、こんなに朝早くから、身重な、そしておとなしい細君を働かせるのが、山村にとつて気の毒でならなかったのだ。
食事を待つ間、二人は向ひ合って、書斎の椅子に腰かけて、クッションに頸をもたせ、互ひにあふむいて休んでゐたが、
「君の細君、何時生れるの?」
と山村が頭を起こしてきいた。
「この夏だが……。」
山村は答へを聞いて、考へこんでゐたが、
「女って随分子供をほしがるんだね。」
あるプロレタリア劇団で働いてゐる山村の細君は、病気で田舎に行ってゐた。子供を一人生むならば癒ってしまふやうな病気だと医者にきかされて,細君は急に、本能的に子供をほしがり出した。しかし、山村が家にゐて、細君が劇団に出てゐる----この生活がいつ迄つゞくかは見えすいてゐた。それでなくてさへ山村はすでに一度治安維持法の被告として、今「保釈」中なのだ。
「僕らには子供を産むといふことが許されてゐないんだからね。」
「そんなことはないと思ふ!」
山村は相手の強い語気にぶつかつて、表情をにぶらせた。
「そんなことはないよ。僕の知つてゐる人に……小野の組合時代の先輩の川辺といふ人さ、川辺忠吉……あの人は、今もぐって働いてゐるらしいが、子供が四人もあつて、とてもそりや無理だと云はれたのを、おれが倒れてもあとをついでくれるものが四人もあるんだから、親としては卑怯な真似は出来ないし、それよりも、子持でなければ本気に運動をやる味はわからないといつてゐたさうだ。それに、そんなことをいふなら第一君の『春さきの風』はどうしたんだ?----といふことになる。」
山村のその小説には、留置場の中で死ぬ赤ん坊をめぐる父と母のことが書いてあつた。それは山村の中学時代の先輩で「金属」*の委員長をやってゐて、今は故人となつた人のことを書いたものだつた。
*「金属」:全協金属労組、当時の共産党系の労働組合
「さうだね。」
山村は開かない扉にぶつつかつたやうに、じつとしてゐた。
「僕は五つ位の子供を肩車にかけてバリケードに急いでゐるパリ・コンミュンの戦士の絵をみてから……考えへが変わったね。君の場合----君は岡君(山村の細君の芸名)を無智で原始的で、君より魂が据わつてゐないから子供をほしがると思つてゐるかもしれないが、僕にいはせれば正に逆だね。岡君の方がこの点では君よりも地についてゐるんだ。」
山村は赤い顔をして、かすかにうなづいてゐた。二人は黙ってしまつた。
「ごはんがでけました。」
といふ声がした。
飯を食ふ部屋で、山村はみそ汁をすゝりながら、突然抑へかねたやうにいひだした。
「僕は今までレーニンは子供を生むのを避けてゐたのかと思つてゐたら、さうぢやないんだね。クールプスカヤには子供が生れなかったんだ。レーニンはそのために一生苦労したらしい。あの人は我慢してゐたんだね……たつた一度、かしこい子供を何人も持ってゐる身傍(みそば)のある同志に、その内の男の子を一人、養子にくれと申込んだことがある。我慢がし切れなかつたんだね。その同志は貧乏だつたのに、又レーニンに子供をやることは考へようによつてはいゝことだったのに、手厳しく要求をはねつけて、おまけに養子がほしいといふ言い草がとても間違つた考へだといつて、うんと攻撃した……。」
山村は自分の気持を紛らすために、調子にのつてしやべつた。
「レーニンは、で、どんな顔をしたらう。」
「勿論、世にも愚鈍な馬鹿親爺の顔をしたにきまってるよ。」
山村は叩きつけるやうにいつて、とってつけたやうに笑つた。かれの眼には涙が浮んでゐた。二人は肉体と神経に重い疲労を感じて、あとは黙々と箸を運んだ。
書斎に戻り、椅子の上にたふれて山村は少し眠った。かれは、その向ひ側の椅子にかけたまゝ、股火をし乍ら、長い間、山村の寝顔を眺めてゐた。山村はななか起きなかつた。毛布を出して、山村の体にかけてやり、別の部屋へ行つてかれも眠つた。
眼がさめると午後一時だった。山村さつき又くるといつてかへつたあとだつた。夕方、非公然編輯所へレポ*が来て、山村の「持って行かれた」*ことが伝へられた。
*レポ:レポーター、連絡係 *持って行かれた:逮捕された
山村のあとを迫って、かれがその仕事の部署から引き離されたのは六月だつた。かれは刑務所の独房の中で、半年くらした。年の暮れにかれが二年前の山村のやうに「保釈」で出てくると、独房の中からかれの細君によこした山村の手紙やハガキが何枚もあつた。それには「あなたが体を大切にして強いよき赤ん坊を生むといふことはわれわれ仲間の内の女性のみが果し得るかけがへのない『お手柄』です。」といふやうなことがかゝれてあつた。かれはそれをよんで、あの三月十五日の朝のうすみどりの空が心に描き出された。先へやられた山村は、あとからかれがやられたと聞いて、あまり平常口をきいたことのないかれの細君にさうした慰めとはげましの手紙をよこしたのだ。
----子供のためにあふむいた拍子に、青空と一緒に、去年の、あの朝の山村の顔が頭の中を通りすぎた。
「あの時、お互ひに眠り合ってそのまゝ別れてしまつたが……もうはや一年か?」
子供はとうとうその小さな手を父親のメガネにかけることが出来た。用心深い小さなかれはメガネの固い感触が手にくると、そつと力を抜いて握るのをやめた。そして、又そろそろと指をかけて、危険でないとさとると、「エー」といつて喜んで、いきなり、黒いセルロイドの蔓を引つ張った。メガネは突拍子もない力につり上げられて、父親の顔から外れ、子供の手の中で空中におどつた。
「はゝゝゝ、とつちまひやがつた。あぷう、だ。」
父親は、子供の体を手に挟んで、肩から外し、差し上げた。子供は、異常を感じて表情を更へ、何よりも、メガネむ握ってゐる手の力を抜いた。往来のかたいアスファルトの上へ小さな音を立てゝおちた。
「や、や……すてちや困るよ。」
父親は子供む抱き直して、地べたのものを拾はうとしたが、マントが邪魔になつて困るのをみて、母親が代つて拾つた。
その時、母親が傍へ来たので、子供は「え、え」とよびかけ、両足を蹴りながら、二本の手であたりのものをやたらに押しのけて、近づかうとした。父親がそれを無視して、抱えたま二足三足歩き出すと、丁度父親の肩越しに、顔のむいた所に、メガネを手に持つてついて来る母親をみて、子供は小さな両掌を出して、勢ひよく啼いてみせ、父親を脅かした。
(二)
「一度あひたし、必ず!----万々一、いやだなどといつたら、一生うらむよ。この使いは確実なり。」
まぎれもない手跡である。書いた字の横にボチボチをつける成田の癖がこゝにもあらはれてゐた。
三尾は昔年筆の走り書きの、この短い手紙に見入りつゝ、かつて何度も期待してゐた極めてありうる平凡なことが今起つたといつたやうな気持で、しかし「何てへんな使いをよこしたんだらう?」と前にゐる女を見直さないわけに行かなかった。
成田のこの手紙を持って来た女は、一と口に言ふと、変わりすぎてゐた。かれが手紙をみてゐる間、すぐにバットむ取り出し、マッチを要求して、無遠慮に煙をふかしてゐる唇が何かの動物を連想させた。艶といふもののない顔は海豹か何かに似てゐた。知的な要素の少しもない二つの瞳が節穴のやうにくつついてゐた。成田のはいつてゐる運動の中にはこんな女性もゐるのかしらと三尾はやたらに、この使者の顔に気をとられながら答えた。
「承知しましたといつて下さい。」
成田が待ってゐるといふのは、その夜のことだった。折角春めいて来た陽気があと戻りして、外へ出ると、霙でも降りさうな暗い道に、刃をあてられるやうな風がふいてゐた。
省線を下りて、女にいはれた方へ歩くと、汚い古本屋がすぐみつかった。時間が少し早いので、その古本屋の店先で立ち止まり、何か買ってもいゝと思ってのぞきこんでゐた。店の番台の様な所には昼間成田の使いに来たのとどこか似た所のある娘が座つてゐた。三尾は手に取り上げた古ぼけた写本の頁をめくりつゝ、成田と逢ふのが凡そ一年ぶりだと思ふと、成田がどんな風な格好でやってくるかと、聊か楽しみだった。それにしても成田はこの一年よくやっていることだと思った。
多分ひどく金に困ってゐるだらう。ひよつとしたら、いやたいてい、向うで逢いたがつてゐる用件と云へば金のことにきまつてゐる。----三尾はいつの間にか古本屋の店先をはなれて、広い何もない夜の坂道を下ってゐた。街頭に照らし出された路上の闇の中に、ちらちらと白いものが動いた。たうとう降って来た。三尾は坂を下りつくした辺りで一寸立ち止って、煙草に火をつけた。眼の前の電車通りの方から、あはてた急ぎ足で、肩をふつてやって来る黒いマントの影が見えた。こつちを向いた顔が黒いセルロイドぶちのメガネなどかけて、やせて細く、丸で老人のやうに見えたが、歩いて来る体の工合で、成田だといふことが遠くからでもわかつた。
立ち止ってゐては悪いと思って、三尾はゆつくり引き返しかけた。すると駈けて来る気配がして、
「こつちだよ……。」
と低く成田がよんだ。一年ぶりできく声であつた。
傍へ来た成田は三尾の顔をのぞき込むやうにして、
「君、メシまだか?」
「あゝ。」
「丁度よかつた。一緒にくはうよ。」
二人は並んで電車通りの方へ歩いた。成田は通りかゝつた円タクをよび止め、運転手席へ首をつつこむやうにして三十銭に値切り、自分で客席のドアをあけて中へ入つた。勢ひこんではいる成田らしい癖を三尾はうしろから見てゐた。
「どうだい、あそこは? しかし、すゐぶん、久しぶりだァね。」
何もかも一緒にいひ、きかうとする成田の気持は三尾さへもし応ずるならば、まさに手を握り合はんばかりだつた。三尾はしかし、何故か冷淡に黙つてゐた。自動車がカーブした拍子に、成田はもともと小さい体の、やせた肩を、すんぐりした三尾の体にのしかけながら「あそこはどうだい?」といふことを又きいた。成田の特徴のある大きな眼----細い顔の中で勢ひよく両方へはなれあつてゐる----がすぐ三尾の肩口に来てゐた。前に、成田の話に、かれの作品む愛読する女性に逢ったら、「何んて眼と眼の間の遠い----そして美しい眼でせう。」といふ手紙をあとからよこした----とはにかんでいたかれを思い起こし、今さはったかれの肩の、前よりもやせたことを感じて、三尾の気持はいくらか和んでゐた。
「君の知つてゐる通りさ。僕のは君たちの二番せんじといふ丈だ。」
車が警笛を鳴らしたので、よくききとれなかった成田は「何? 何?」と肩をよせてきて三尾のいつたことがわかると「さうか。それはさうだなあ。」と何でもないことにやたらに感情を亢ぶらせてゐた。三尾はまるで反りがあはないと思った。しかしやはり逢ってよかつたと云ふ気持は強くなつてゐた。
自動車は渋谷の駅の前迄来て車は道玄坂の賑やかな通りを登つて行つた。
「この辺でいゝ。」
かなり坂を上った辺りで車を下りると、成田は先に立って横町を曲つた。そこに、だれもちよつと気のつかないような小さなてんぷら屋があつた。「てんぷら・いけなが」といふ角安燈がかかゝつてゐた。馴染の様な調子で古めかしい障子をあけて土間へはいる成田を抑えるやうにして「君、金もつてゐる?」ときいて、成田がうなづくのを見た三尾は黙ってついて入った。
(三)
部屋には床の間があつて、小室翠雲の竹の絵がぶらさがってゐた。成田はをかしい程
「こつちィ座りたまへ」
としつこく三尾を上座に据えて、自分は黒ぬりの餉台をへだて、向ひ側に安座をかいた。
そして、座つてからオーバーをぬぎ、メガネを外した。一年みない間に、合法場面から姿を消した成田は、五つも六つも年を取った様に面変わりがしてゐた。
彼は明るい光りの下で顔を見合せると、唇の辺に子供つぽいはにかみをいつぱいみなぎらせ、いきなり餉台に頬杖をついて、
「何故あんな手紙をやつたか……。いろいろあひたいことがあつたんだよ。でもね、それはもつとあとにしようと思ってゐたんだ。」
「僕も君にはあひたいのと、あひたくないのと両方だつたね。よびにきてもあふまいと決心してゐたんだ。」
三尾のいひ草が平然とおちついてゐるだけに成田は力をおとした様に、顔色を変へてしまつた。
「それは……何故だい……?」
と成田はひどく声を乱した。
「しかし、かうして出て来たんだから、まあいゝぢやないか。君の書いたものはみんな読んだよ。そして敬服したよ。今はこつちの仕事で、目安に出来るのは君一人だと思つたよ。尤も前からもさうだつたけれどね。」
「そうかい、みんなわかるかい?」
「あゝ、わかるさ。」
成田が匿名で書いている指導的な論文にはこの一年の間に成田が非常にえらくなつたことが判って、三尾には一種の憎しみ----到底迫ひつけないといふ絶望----をさへ感じてゐた。しかし、今そんな話を持ち出したのは、三尾の本当の気持ちでも何でもなかった。一向なじまないお互いの場繕いのお世辞のつもりだつたのが、成田がすぐに叉その話題で、こつちのふところへ飛込んで来ようとするのがわかると、三尾は口をつぐんでしまつた。
成田は取り残されたやうに、そのまゝ頬杖をついてゐたが、我と我が気分をもりかへす様に一種えたいの知れない微笑をしきりに浮かべて、三尾の方をいつまでも眺めてゐた。
「どうしたの?」
としまひに、三尾が怪訝がつてきいた。
「君に逢うのはこれが二度目なんだ。ハゝゝ。」
「………?」
「おととひ、僕は君に逢ったんだよ。君の方では気がつかなかったんだけど、浅草の梅園を、君たち一家族が……一家族と云ふ字の傍には俺の得意のボチボチがつくんだよ……出てくるのを見たんだ。歩く方向が同じだつたから、俺は君について行ったんだよ。そして君の赤ちやんの声だつてきいたよ、始めて。あッぷぅ----っていひながら、君の肩の上で、丸い大きい眼をして、細君に似てゐるんだね。メガネをすてっちまふ所まで見て………それからひき返した。」
三尾はだまつて苦笑してゐた。
「よっぽどよびかけようかと思ったがね、次の「絡」*が迫つてゐるし、君の細君がゐるし、やめたよ。その代り、急に君に……あいたくなつたんだ。今日あったのはたったそれだけの理由だよ、あへばいくらでも話はあるがね……。」
*「絡」=街頭連絡。非合法活動中の活動家は、検挙をさけるため、住まいや喫茶店のような決まった場所ではなく、その都度とりきめた街頭で他の同志と連絡をとった。前回決めた連絡場所に現れなければその活動家は逮捕されたものとみなされた。また、警察は活動家を逮捕すると、芋づる式にその周辺の活動家を逮捕するために、次回の連絡場所を白状させようと盛んに拷問を行った。
成田は羞恥をまぎらすために笑つた。あふれるものを抑へるような努力で、しきりに真面目な態度を繕ひながら、
「僕はおととひ君に逢って、その晩もゆふべも、あれだ。寝床の中で輾転反側(またポチポチつきだ)したよ。白状するよ。泣いて、泣いて……。これ、まだおれの瞼、はれてない?」
成田は手の甲で瞼をこすつた。
「……………?」
三尾には相手の話が何のことだかのみこめなかった。三尾の怪許さうな表情をみて、成田は自分の話を三尾が信用してゐないと云ふ風に勘違いしたらしく、
「いや、ほんたうだよ、僕……君たちを見て急に自分の小さい時のこと、別れてもう半年以上あはないおふくろのことなど思ひ出してしまつたんだ。子供の時の一番かなしいたまらない言葉を……なん十ぺんもいつたかもしれない……おツ母ちや----おツ母ちや、ってなあ。僕ももう三十一だからね。大きな声で呼ぶわけには行かないや。がまんしてると、ぐいぐい、塩ッ辛い涙が咽喉へ流れ込むんさ。」
成田は、三尾に嗤はれまいとして、構へ込んだやうな真剣な表情を崩さずにじつと三尾の方をみつめてゐた。
「……君になら笑われてもいゝぜ。ね君、おれの「転換期の人々」……ね、あれを見てくれたらわかるように、僕の一家は、夜逃げをして北海道へ移住し、間もなく、父親が不慮の災難で死んだんだ。僕は母の手だけで育つてきた。父親の死体が戸板にのせられて運びこまれてきた夜には、悲しみは自覚しないが、何しろ一家がこれから大変なことになるのだといふ気はしたね。それが怖くて、僕は母のやせた乳房にすがつて「おツ母ちや----おツ母ちや」とよびつゞけてゐたのを覚えてゐる。何につけてもおツ母ちやさ。石炭拾ひに遠くへ行って、海は鳥肌立って暮れてくるし、その上には鼠色の雲が羽をひろげてゐる。その中から貯炭場の怖い見張りの親爺が、こんな………棒切れをかざして、遠くからとんで来るんだ。……気づいて、今から逃げても子供の足では到底追っつかぬ。夢の中で逃げようともがいて、足の自由がきかないあの怖さ、ね。あれだよ、あゝ、おツ母ちやあツ! さ。はゝゝゝ!………それから、港の荒れる波の中で船よひにへとへとになりながら、潜水夫のポンプをおす仕事ね、僕は十七八の時、その働きをして波にもまれながら、もし舟が沈んだらどうしようと考へ始めると、自分が、たつた一人の母の子だといふ気が、とんでもなく胸の中をつき上って来る。自分がひどい労働をしてゐるのなぞは何でもなく、母がやたらにみじめに思へてくる……今頃、あの貧民窟の奥の家の、うす暗い板敷の上で、今に沖から帰って来る息子のために、七輪に火をおこさうと、石炭をわってゐる----−そんな光景をまざまざと想像すると、何十町も沖へ出てゐる舟の中にゐて、一気に宙をかけって、とんでかへりたくなつて、眼が昏みさうになる。現実にはそんなことは出来ないだらう。そこで胸一杯に、あゝ、おツ母ちや!----だ。」
成田はゆつくりとこの話をした。かれの面上には貧乏で育つたもののみの持つ、一種強情な愛憐の翳がただよつてゐた。
「君のお母さんは、ずっとこちら(東京)にゐるのかい?」
「うん……僕が東京に居るかぎり、北海道へはかへらないといふ約束さ。僕は母を八十までも九十までも長生きさせるつもりだ。八十までゐてくれれば、あと二十年だらう。本当の世の中をみせてやれると思うので、年よりには長生きの外に手はないよ。」
「どうして食ってゐるの?」
「----僕はこうして、別れてゐても、母のために、小説を書いて金をとつてやりたいのさ。それで今書いてゐるんだよ。尤もそんな理由からだけぢやないがね。……何しろ朝の七時頃から夜おそく迄毎日とび歩いてゐて、僕自身ろくに交通費もないやうな生活だらう。毎晩眠むる時間を減して読む仕事を片づけてから、書いてゐるんだ。今度おれは大作を書くよ。明るみにいる君達に負けない積りでね。しかし今度書いたのは、いゝものぢやない。半分は金とりのためだ。それでも書いてゐる間、息子と別れて広い東京の真ん中に暮してゐるおふくろのことをさんざん考へたよ。僕は今の生活に移って始めて、僕に一人の母があり、僕がそのたつた一人の母の子だと云ふ自覚に打たれた。一日の眠りを二三時間にへらして母の生活を心配しながら原稿を書いていると、それだけでもう自分がこの運動に母子諸共出陣してゐるんだと云ふ気がして、とても楽しい思ひがするんだよ。」
「君はもとから孝行者だからね。」
「いや、それを封建的に考へちや駄目だよ。そんなものぢやないんだ。僕は前には、この生活を初めるまで、いつかは母をのこして行かねばならぬことを考へて、泣いたよ。なかなか思ひ切れなかつた。さて、母をおいてけぼりにして、この生活を始めてみると、毎日心配だ。人づてにきくと、母の方でも心配してゐるといふ。何とかしなければ、動きがとれなくなつた----これが僕がもぐってから二三ケ月目のことだ。こゝまでは僕も単なる孝行者だつたんだ。こんな孝行は必ず行詰る。はっきり行詰つたんだ。」
三尾がまだ独房へはいらず、成田が三尾の附近に住んでゐた頃、二人はよく往来して文学の話や、ヨーロツパの自然主義作家の批評などをして夜を更かしたものだ。不意に又さういふ時季がやつて来た様な瞬間を感じて、三尾は始めて顔の筋を解いたやうに笑ひ、火鉢の中へタバコをつっこんで餉台に片肘をついた。
成田は片手でやせた頬っぺたをしきりにこすりながら、
「僕は、こんなに母に心をひかれてゐては困る。これでは家庭といふものの中へ、個人的な愛情の中へ、いつかは引き戻される恐れがある。この危険な退路を断たねばならぬ----心を鬼にして……。」
「そりや見当ちがひだよ。」
三尾は思はず大をな声を立てて遮った。
「あゝ、見当ちがひだつたんだ。----しかしその時はさうは思へなかつた……。」
「ぢや、君はおつ母さんに逢わねばならなくなつたんだらうね。」
「あ----わかるかね、そんなことが……。」
「さうぢやないのかね。」
「さうだよ、たまらなくなったんで逢つたんだ。向うでも逢はねばこれ以上がまんが出来ないといふ便りだったしね。」
成田はうつむいて、火鉢のふちに片手をかけてゐた。
「いろんな苦労をしてゐるんだね。」
うなづく様に顔をあげた成田は、
「さつき君は、僕をえらくなった----ってお世辞を使ったらう。」
「お世辞ぢやないよ、第一君の顔をみれば、わかる、すつかり前とちがふよ。」
「変ったかねえ。」
成田は特徴のある大きな鼻の辺りをなで廻してみて、
「ぢや、幾分それが事実として、僕らは単にもぐっているからえらくなるんぢやない。つきあたって、のりこえ、キリキリ働かねばならぬ場所にゐるから、一日に一週間分の、三月(みつき)に一年分の年齢(とし)をとつてしまふんだ。どんどん幼稚なものが取れて行くんだ。その点はありがたいと思ってゐるよ。たとへば僕はこの生活に入つてから母に対する本当の自分と云ふものも発見できたようなものだ。あってみて、別れると、やつぱりお互ひに心配はつづくんだ。これが母子といふので、仕方がないと一時は思ひかけたがね。ある日、僕は自分の母を単に個人的にだけみてゐるといふこと、一切の不幸がそこから来てゐるといふことに気がついた。母の方へ退却する危険を防ぐために間を切断する----んぢやなくて、間をなくしてしまふために、母を僕の生活の中へ引つ張ってくる。母子諸共この運動に従う。そうすれば心配はない----このやり方に気がついた時、やたらに母を心配してゐる今迄こそ非常な不孝を仕向けてゐるんだとわかつた----。」
「よくわかるよ、君の話は。」
「この運動は、世の中のどこにも無理のないやうにするというものなんだらう。だから僕らの生活のどこにも無理があっては間違ひなんだね。そこで僕は時々母に手紙を出し、母の暮らしのためにもどんどん作品を書いてやると云ふことの楽しさあがわかつたね。運動の中にゐる人の子としての僕自身がはつきりとつかめたんだ。僕は子だよ。子----。」
「子として母を辱めないやうにりっぱにやってのけるか----。」
「さうだよ、運動に対する決意性、困難をのりこえて行く力----共産主義者の道が、子----としての自覚から照らし出されてくるよ。僕はかうなつてから母に対する僕の愛がどこ迄深いものかといふことがわかった。今迄は浅い、浅い、うすつぺらな生括だったんだ。」
二人はそこで話をやめて、襖の方へ視線を転じた。女中が食べ物を運んで来たので。
(四)
二人は餉台の上におかれたものを食べながら、三尾が成田にきいた。
「ぢや、何がおツ母ちや----なんだい?」
「うむ……。」
といつたまま成田は鼻先きに頑固な笑ひをたたえ、うつむいて箸を使ってゐた。間もなくかれはある種の意欲に満ちた顔を三尾の方にふりむけた。
「子----ってやつはひっくりかへしてみても同じものなんだ。僕は、君が去年山村をやりこめた話を山村からきいてゐる。しかも山村が持って行かれた日に……。」
「やりこめた?」
「山村のおかみさんが子をほしがつてゐるのを、君は断然支持して、子供を肩車にのせたパリコンミュン戦士の話をしたさうぢやないか?」
「あゝ、そのことか----。」
三尾は、傍の女中の手からお茶漬けをとりながら
「僕は小野の知合の川辺忠吉の例を話したり、山村の『春さきの風』を引き合ひに出したりしたが……。」
「それをいつてゐた……第一小野だつてさうだらう。二人も子供があつて、あゝしてはいつてゐれば大変だらうとは、チョンガーたる僕らのみるところだ。外にゐる小野の細君にしても、中にゐる小野にしても、子が二人ゐるといふので、気持の上でも随分ちがふだらう、親子もろとも、全人民的に----やってゐるんだな。」
「全人民的----はよかったね、はゝゝゝ。とにかくおれなんかの場合、あそこへはいつてからあの小さい奴がとび出してきたんだが、生れない前と後とで、中にいる気持はまるでちがふね、子供のために悪い父親になつてはならないといふ責任感が生じてくる。すると、気が強くなり、矢でも鉄砲でも持ってこいといった気持に変わってくる。そりや有難いもんだ。或る人が子の恩といったが、全く子は親の柱だよ、そしてたしかに川忠のいったやうに、子持ちでなければ運動の味も独房の味も本当にわかるまい。その点ではしかし君は『母持ち』だから同様だらうね。」
「母持ちで----そして『子持たれ』だ。しかし、母はだんだんやせて小さくなつて行くが、子供は大きくなるんだからね。おととひ、君のうしろ姿をみてゐて、さう思った、母を育てるのよりも子を育てる方が上だと。」
「君のやうな子が育つんだからね。」
「僕は君の抱いてゐる子をみてゐて、急におツ母ちやを思ひ出したんだよ。もう半年以上逢はないんだからね。うちでどうしてゐるだらうと思ふと、矢も楯もたまらなかった。しかし、もう前のやうに心配はしてゐないんだ。おツ母ちやの方でも僕のことは前のやうに苦に病んでゐない。重荷ではない。しかし、ゆうべも、ねてからあひに行きたくて、子供の時のいろいろなことを思ひ出して、おれ自身、よくもこれだけの人間になつたと思って、それで泣いたんだよ。君の子もきつとさうなるよ。」
「多情多感だなァ……君は----。」
「かなはねえ……とくるか。ちきしよう!」
二人は笑つた。三尾は漬物を食べて箸をおいた。成田はとっくに、前にあったものはすっかり平げてゐた。
「しんみりしたお話ですこと。」
女中が餉台の上を片づけながら、追従笑ひをした。
「しんみりとしてゐるって?」
成田はその方へ迄、懸命な調子で相手になつた。
「君はしかし、前よりも熱情家になつたぜ。前にはそれが君の中にひそんでゐたが、この頃はどうして……。」
女中が立って行つたあとで三尾が成田を批評した。
「こういふ暮らし方のせいで、よけいさうなるんだよ。」
「しかし、体はいゝのかい?」
成田は赤くなつた胸をはだけ、腕をまくり上げてみせて
「これ……顔はやせてゐるやうにみえるけれど、僕は元来骨が太いんだぜ。」
二月だといふのに、シャツも着けてゐない成田の肉体は、成程顔に比べると、少年のやうに若かつた。
(五)
三尾は尾張町の角の薬屋を叩きおこして、石膏の袋を買つた。そして、待たしてあつた自動車に乗った。起伏の多い東京の町をかけぬけて、車が中央線沿線にそつて郊外の道へ出る迄、車の中の三人とも殆と無言のまゝだつた。三尾と一緒にのつてゐるのは、去年ドイツからかへった小川と、今一人は山村の細君の岡だつた。
成田の屍体が警察の手から大勢の同志や家族達の手に引渡され、自動車で郊外のかれの母のゐる家へ引上げて行ったあと、三人はデスマスクをとる用意を整へるためにあとに残つたのである。
小川の友人で、こちらの団体には属してゐないが、明治時代の著明な文豪の息子である或る若い美術家が小川の家の近所に住んでゐる。急を要するのだからその人をたのもう。もし駄目だつたら小川自身がやるといふことに----天才的な演出家である小川は芝居の衣裳を自分で縫ったりするほか、デスマスクをとるやうな仕事もやれるのらしい----相談をきめて車は少し目的地を迂廻した上井草の方へ向つてゐた。暗い坂の下にとまり、小川だけ下りて、はやできている霜柱をバリバリふんで友達の家を叩き起しに行つてゐるあと、三尾と岡とは車の中の凍つてくる空気に耐えてゐた。寒い夜空に何の鳥か、鳥の声がした。
「やけにひえるねえ。」
と岡が両手をもみ合はして肩口をこすつた。さうでもしなければ、じつとしてゐられなかつたのだ。
「今頃、独房の中はたまらないぞ……。」
三尾はわざと話を外へ持って行った。
「あ、三尾さん、あたし、あした山村に逢ふんですが、どんな風に話したらいゝでせう? びつくりするでせうねえ、どんなに山村がおどろくことだらう。」
「さうだね。一目でわかるように 二月二十日昼、成田捕まる。即日虐殺、築地署。----とぐらゐ紙の端に書いて行き、そっとみせるといい。たいてい話が出来るよ。しかし話を始める前にみせるといゝ。……いやあそこにゐてこんなことを知らされちやたまらないなあ、ほかのことは何にもわからす、唯こんなことだけを知るんだから。」
そこへ小川が友達の美術家をつれて来た。眠ってゐたのを起して来たらしい。
「すみません。」
と三尾たちは礼をいつた。四人になつて、車は西武線の通りまで戻り、西へ、成田の母の住んでゐる家の方角へ走った。
見覚えのある踏切までくると、同じ団体の人達が大勢かへつて行くところだつた。四人はそこで車を下りた。
成田の家は、成田がもと住んでゐたままのところにあつた。よくこゝへ訪ねて来て、話しこんでゐた二年前のことが、三尾の胸に甦つた。その時まだ「満州事変」も起つてはゐなかった。再びかへることのない過去が、成田の死によつてはつきりと胸にきざまれた。わずかに二年の間に、成田がこんな風に身をささげて一生を終える所まで、時勢が急激に進んだのだ。成田が北海道から出てきてけふ迄の間の激しいかれの一身上の変化は、金が解禁きれ、又禁止がされ、大銀行家が虐殺され……戦争が始まつて行った----この一連の世相----今の世の中の機構が窒息し、痙攣してゐる状態に向つて鋭くくひこんで伸び上って行く別の階級の、別の機構の激しい動きがまぎれもなく反映し、作用したものなのだ。
三尾は二年前のまゝの垣根の傍をとほって成田の家の狭い玄関をあけた。土間は下駄や靴であふれており、座敷には人が一杯つまってゐた。
三尾は灯のついている八畳の部屋へはいつた。そこは成田がもとねたりおきたりしてゐた部屋だ。みると大勢の人々に枕辺を囲まれて、成田は汗をかいた後のやうな青白い表情をして、蒲団の中にねむつてゐた。唇と鼻に生命がなかった。----三尾はかれの枕頭に座つて、手を出して、成田の額にふれてみ、頭の髪をなでてみた。冷たかつた。とぢたかれの眼の下に長い睫毛が淡い影をおとしてゐた。
「おい----。」
と人にはきこえないよう、かすかによんでみた時に、始めて成田が冷たい一個の自然物に還つてゐるのだといふことがたまらなく口惜しく感ぜられた。
三尾は少し蒲団をめくつてかれの胸の所をはだけてみた。「僕は元来骨が太いんだ」と、かれ自身なで廻してゐたついこの間の血色はそこには失はれてゐた。そして何の真似か、バンソーコーの小さなきれっぱしが左の乳の下にはりつけてあった。*三尾は大勢の人々に背をむけた暗い方へむいてゐたので眼の中がぬれて来るのを、そのまま耐えてじつとしてゐた。傍で岡がすゝり泣いてゐた。
* この「……バンソーコーの小さなきれっぱし……」の部分は、改造版で十九字削除と表示されているが、実際には四十字分が伏せられている。虐殺された多喜二の遺体は、全身凄惨を極め、とてもバンソーコー小片一枚といった状況ではなかったはずだが、東京中の大学や病院に検視解剖を拒否され、公的な記録は残し得ない状況だった。凄惨な拷問屍体は公的には存在しないものであり、そのことに言及することは当時最も危険なタブーであった。だから、「何のまねか、バンソーコーの小片」というのはぎりぎりの抵抗的表現だったのではないかと思われる。そして、それすら伏せ字にせざるをえず、しかもおそらくこの最もクリティカルな部分で40字という長文を削除したと表記すると「本当は何を書いたのか」と過剰な追求を招くおそれがあると配慮して、19字と少なく表記したのではないかと考えられる。
なお、小林多喜二への拷問と屍体の状況については、江口渙が、小林と同時に捕まった今村恒夫の話や、引き取った遺体を安田徳太郎医師とともに直接調べた所見にもとづいて以下のように記録している。----拘引された警視庁築地警察署において、寒中、丸裸にして細引きで後ろ手に吊し上げ、ステッキや木刀での乱打を皮切りに、気絶すると水をかけて息を吹き返させ、様々な拷問を二時間以上繰り返し、一九三三年二月二〇日午後四時頃、死に至らしめた。
屍体の状況は、顔面に五、六箇所の打撲と内出血、首を一周する内出血を伴う細引きの跡、両手首にも内出血をともなう索状痕、下腹部、太股は一面に暗紫色の鬱血状態で、腹、太股、陰茎、睾丸までがはちきれそうに膨満し、異常な大量の内出血が下半身全部に充満し、内臓や腹部の血管が激しく損傷していることを思わせた。
さらに、太股には錐か釘を打ち込んだと思われる皮膚がやぶれ肉が露出した穴が十数箇所も認められた。
脛には角材などの強圧でできたと思われる削り取られたような傷跡がいくつもある。
さらに多くの人々に惨劇の極地を感じさせたのは、右人さし指の骨折である。これは指を逆方向に強引に折り曲げてへし折られたともの考えられた。
(江口渙;われらの陣頭に倒れた小林多喜二.定本小林多喜二全集七巻,新日本出版社,東京,1969,152-154----から要約)
となりの部屋で病人の様な呻き声がつづいてゐた。成田の母だ。三尾は座を立って、そちらへはいって行った。母は皆に支へられ、蒲団にもたれ、お産でもした時の様にハチマキをして苦しさうにに呻いてゐた。時々甲高く、何か口走ったが「お金ならなんとかしてくれてやるのに、何故人の子を売ったんだ。」と云ふ様な意味らしかった。
三尾は前に座って黙ってお辞儀をした。外にどう口をきく術もなかつた。傍の大勢の者も同じ思ひで、この残された成田の母をとりまいてゐた。それでも母は、三尾がお辞儀をした時夢中になつて呻きながら、首を下げて礼を返した。
「お母さんを心配したが、案外たしかだね。」
と三尾はそれを見て傍に座つてゐる仲間の内の「長老」である野口にさゝやいた。
野口は立って廊下の方へ出ながら「こつちへ来たまへ」と三尾にいつた。二人は人々の背中のかげの廊下に座って、あすの費用のことを打ち合せた。そのあとで野口は低い声で話した。
「今は気はたしかだが、成田をつれてかへつてあそこへねかせたあと一時間ばかりといふものは、どうなることかと、ハラハラしたんだよ。----息子の枕許に座ると、声を立てて泣き崩れてね。やがて成田の顔をなつかしさうに覗き込んで、間もなく手を出して乱れた髪をなでつけてやつたり、やつれた頬をさすってやったり……しまいに、成田の首を抱きおこして、眠つてるのを目を覚まさないようにと気遣ひでもするように、そつと揺すぶつてゐるんだよ。成田はあんな風にしてあのおつ母さんに育てられたんだね。」
「………。」
「しかし、間もなくがまん出来なくなつたんだらう。死んでゐるといふことが身にしみてわかつて来たんだらう。あんちや、あんちや……一ぺん目をあけてくれ! と絶望的に、成田の瞼の上をなでさするのだ。そして、首を抱きおこす様にして----立ち上れ! みんなの前だ、もう一度立ち上れ! って泣き叫ぶんだよ、だれも皆うなだれてしまったよ。」
「………。」
野口が向うへ起って行ったあと、人々の肩越しに成田の死顔を見やりながら三尾は一週間前のてんぷら屋の座敷での成田との会見を反芻してゐた。こうなつた今、あれは一体何のための会見だつたのだらう。「遊びさ。」と成田は笑つた。別に金をよこせともいはなかつた。いや料理屋の勘定まで成田の方で払つた位だった。「あひたくなつたので急によび出した」のには違ひないとして、では虫が知らせたのだといつたら、成田は笑ふだらうか。併しまぎれもなく、あれは「訣別」だったのではないか。
三尾は成田のあの時の話を追懐した。母----子----成田は芸術家出身だけに、運動といふものに、運動の生活といふものに、自分のどんな細かい生活の端々までも調整し、統制しようとする盛んな意欲に燃え上つてゐた。かれは母を背負つて、運動の中をこぎ渡って行かうとする生活に気がついてゐた。いや勇み立ってそれをやり始めてゐた。かれらしい帆を張ったかれの舟は、嵐にうちくだかれ、母と子がこゝで永久に別れてしまつた。----しかし、かれの持ち前の母思ひ、がむしやらなまでの孝行----さういふかれ自身の特有の生括を----戦争を始めなければならぬところまで、この二年間に落ち込んで行つた日本社会の破れ目に向かって執拗にくい下がっている命がけの運動の中へ、ちやんと持ち込んで行って、その中で符帳のあつた一定のやり方を樹ててゐたといふことは、「おれは人の子だ」といふ 大きな顔をしてこの運動をやっていけるところまで生活をきりひらいたといふことは、もはやかれが芸術家出身だからと云ふだけで説明してすませる問題ぢやない。世の中には金をもうける生活もあれば恋をする生活もある。しかしこの運動がまぎれもなく、人間の肉体を以てするどの生活よりも全体的なものであり、集中的なものであるということを人はまだ知らないようだ。いや、やつてゐる連中自身の中にも成田ほどにはそれをさとつてゐないものが少くないのに達ひない。
「三尾さん、ちよつと手伝つて……デスマスクにとり掛かるから。」
小川が壁際に立つて三尾をよんだ。小川の友達の若い芸術家は、わりにのんびりした顔つきで隅の方で石膏をといてゐた。
(六)
朝になつて、三尾は自宅へかへった。
かれの細君は、三尾の帰ってきた物音に眼をさました赤ん坊のおしめをとりかへてゐた。
「どうだつたの、ひどい? 成田さんは……」
「ああ、お話しにならないさ。命がけということがあるが、あの屍体をみると、命がけ以上だものね。矢つき刀折れたサムラいのようなものだね」
「……でも気の毒に、ねえ。」
細君はうつむいて子供をいぢくつてゐた。子供は父親の顔を見ると、手も足もさし上げて大きな声を出した。
「ようし。」
三尾はその方へ行って子供の小さな体を抱え上げて、
「お前は、一っぱし働き甲斐のある『子』になるかな? え、おい?」
と、けろりとしてゐる子供の顔をみて笑った。
「どうだか、わかりませんよ。あなた次第です。」
細君はおしめの籠をかたづけながらいつた。
「そんなもんか。成田の真似は容易にできないしても、何かしておかなければ子供にうらまれると云ふことは問題だね。」
「どうぞお働き下さい。」
子供は手を出して父親の顔をつかまうとした。
「又、メガネか? いけないいけない。すぐ出かけなければならないんだ、お茶でもわかしてくれない? けふ告別式をやるんだから、引っ張られるかもしれないから、シャツを一枚よけいに出して………」
三尾は細君にたのみながら、眠ってゐないための重たい神経の疲労の中で、両腕に抱いてゐる子供の重みを感じて、
「まあ公は重たくなつたね。さあ逆さにつるしてやらう。稽古だぜ……」
と、子供の体を逆立ちする位ふり廻しながら部屋中を歩き廻った。子供は乱暴な刺激を喜んで体中をそりくり返らせつつ
「ア、ア----ア」
と小鳥の様に叫び立てた。*
「よしなさいよ、そんなことするとバカになります。」
細君はそれをいやがりながら、台所の方へ立って行った。 (了) (一九三三年)
*最後の、子供をあやす描写で「逆さにつるしてやろう。稽古だぜ」という部分は、明らかに多喜二の拷問虐殺を連想させる暗喩となっている。そうでなければ、この単なる子供をあやす描写がわざわざ伏せ字にされている理由、また「稽古だぜ」という何の稽古か一見意味不明の一言の意味が分からなくなる。子供をめぐる日常会話の態を装いながら、ここは、子供を次代の活動家に擬しており、それ故に拷問への「稽古」だという暗喩が成り立っている。
きわめて屈折した表現だが、多喜二虐殺の数ヶ月後という緊迫した状況が滲む文言といえる。そして、1933年の雑誌改造には、伏せ字と削除を加えながらも、この形で掲載された。しかし、その後の改稿では「逆さ吊り」が削除され、単なる子供をあやすシーンになってしまっている。
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