<韓国の仮面劇>
土 俗 を 超 え た 社 会 劇
――韓国慶尚北道河回(はふぇ)村の仮面劇を見る
伊 藤 純(文・写真とも)
●復活した仮面劇と美しい河回(ハフェ)の村
2000年5月、韓国中部、安東市郊外の河回(ハフェ)村に伝承される仮面劇「河回別神クッ仮面戯」(ハフェ・ピョルシンクッ・タルノリ)を現地で見た。
←河回(ハフェ)村
韓国には各地にいろいろな仮面劇が伝承されており、鳳山仮面劇(ポンサン・タルチュム)などは日本に来演したこともあり、有名である。河回の仮面劇は、1928年以来中断していたものを、1970年代に安東市の李相浩氏ら有志が、記憶を残した老人から取材するなど、多くの労苦の末に再興したものである。
古くは約十年に一度の特別大祭(別神)にだけ演じられていたものらしいが、いまでは野外劇場もでき、ほとんど毎週演じられ、多くの観客を集めるようになった。
仮面劇と並んで、屈曲する河をめぐらし美しい農村の面影を残す河回村自体が、民俗村として景観保存を行っており、沢山の観光客がやってくる。ちょっと日本の白川郷のような雰囲気で、いわば、民俗伝承の再興によって村興しに成功しつつある、という状況だ。そのうち、世界遺産に指定されるかもしれない。↓(景観保存された河回村・観光客も多い)
●ユニークな仮面の造形
この河回(ハフェ)の仮面劇は、他の地域の劇と異なる大きな特徴をもっている。
韓国の仮面劇は鳳山仮面劇にみられるように、お面のデフォルメや誇張が著しい。能面などを見慣れた目には、え! というような「鬼面人を驚かす」ところがある。これは、これらの仮面劇の祭儀としての意味と密接に関係しており、この世の悪や滑稽、疫病や災厄を仮面に籠めて祭り、終わると焼却してしまう――厄払いの意味を背負っているからだろう。
だから、河回以外の地域の仮面は、紙などで作られ、毎年あらたに作りなおされる。伝承と記憶によって去年を踏襲してデザインされるのだろうけれど、そこには、毎年新たに作る作り手の気持ちも入らないわけがない。今年はこんな風にして、仲間を驚かせてやろう、観客をびっくりさせよう、というような制作者の意図が少しづつでも、毎年重なっていけば、それはもう、ピカソも真っ青というようなデフォルマチックな仮面が出来上がる。(韓国各地の仮面、色使いも大胆、紅白に塗り分けられたのはシラフと酩酊状態とを表すという)↑
しかし、河回の場合だけが、村の祭神として扱われたせいなのか、焼却する習慣がなく、木製の面の現物が伝承されたのである。(古く伝承された仮面は、今は、国宝となってソウルの民博に納められている)
河回(ハフェ)仮面も作家がいて新しいものが作られるが、お手本の現物があるのだから、デフォルメの程度が少なくなるのは当然であろう。
河回以外の、毎年焼却される仮面たちでは、それらは、見れば見るほど、今現に想定される観客に対する即時的なインパクトを造形することに、制作者の気持ちが向いていることが感じられる。例えば「酔っぱらいのインチキ坊主め!」とか「あのあばた野郎!」とか、まことに卑近で嘲笑的な劇的表現がデザインされているように思う。
……もっとも今ではこのような卑近な情熱が固定化され伝統という形で冷却され、もう大きなデフォルメは追加されなくなっているのだろうけれど。
そして、このような卑俗卑近、即時的な表現が徹底されていった時に、それはそれなりに、ある、人間的社会的な真実に到達するのだ、と感じられる。それはほとんど、ピカソとかミロとかの世界に似ている。
他方、河回(ハフェ)の仮面はそういう方向をたどらなかった。
眼前にお手本の現物があるということは、新しい制作者の自由度を狭める。しかし、お手本をためつすがめつ眺めることによって、即時的な表現が抑えられ、面の内面、面の形象の背景となった地域社会のキャラクターに思いを向かわせることになるだろう。――それも抽象的な人間性というものではなく、その地域社会に生きる身近な人々の人生や生き方を発想の資源として形象化していくという方向に向かわせることになる。
権力者、知識人、坊主、貧しい庶民、娼婦、被差別民……河回の仮面に形象化された役どころは、皆地域社会での身近な人物たちである。それらの人々が、それぞれの階層的な立場をしっかり反映して捉えられている。
これはまことにユニークなことといわなければならない。
おそらくそれは、李朝期の、多分に制度疲労に陥ってしまった半封建的な地域社会の権力構造、階層構造を、人物像によって見事にサンプリングしているのである。このような社会性をもった役どころを網羅した喜劇が他にあるだろうか。私はせいぜい、「フィガロの結婚」とか「桜の園」くらいしか思いつかない。
●仮面と登場人物
今、河回(ハフェ)の仮面としては九つのキャラクターが伝承されている。そのどれ一つとっても、それぞれの階層にに生きる生活者としての人間の生き様が凝縮されている
――例えば破戒僧(チュン)には酒乱、スケベ、陽気、生活苦といったそのキャラクターの背景が彷彿と描き出されているし、最下層の被差別民白丁(ペクチョン)には、苦労の皺とともに、なんともいえない粘り強さ、ずるさ、意地悪さなどが巧みに形象化されている。支配階級である両班(ヤンバン・元来は役人の試験に受かった地域のエリートのはずだが、事実上、地主、村の有力者として形象化されている)は間抜けの威張りやだが、旦那風のおおらかさももっている。無冠の学者(ソンビ)は、正に田舎にうち捨てられた恵まれぬ知識人のなれの果ての、不満と猜疑心と傲慢さをあわせもったいやなジイサンである。
←(屠殺を稼業とする白丁)
また、両班と学者という村のお偉いさんの召使い、というのが大変面白い形象である。両班の下僕チョレンイは、素っ頓狂で粗忽な面相に作られているが、お偉方をからかってウップンを晴らそうという反抗心も人一倍というストーリー展開で活躍する。フランス古典喜劇などの道化やフィガロなどとあまりに似ているのが一驚である。
(両班の下僕チョレンイ、左側の鳥の羽根のようなものは、獅子頭→)
学者の下僕イメも、極めてユニークに造形されている。目尻が下がって大笑いという相で、しかも下顎がない(失われたのか元々無いのか不明だが)、しかも伝統的に身体障害者(半身不随?)として演じられたらしく、これらの条件をフルに生かした現在の演者によって、それこそかってどこの村にも一人や二人はいた、四六時中酔っぱらっていて、ちょっと中風気味で、哄笑したかと思うと急に怒って怒鳴り出す、といったオッサンが見事に活写されている。
↑(無官の学者の下僕イメ)
老婆(ハルミ)も、この種の祝祭儀式の登場人物としては異例で、生涯極貧の生活に呻吟してきた苦しみの嘆き節を延々と唄う。にも関わらず不思議なことに、悲劇の主人公としては描かれていない。ほとんど殺しても死なない因業婆といった強さがある。この辺は、自己犠牲に涙することが大好きな日本人の美意識とは非常に違い、自己主張の強い人間観を感じさせられる。
娼婦(ブネ)が堂々と登場して可愛い微笑と媚びを振りまくのも、祝祭儀礼としては異例であろう。ブネは正しく現役の田舎娼婦という感じで、人垣の真ん中でしゃがみ小便はするわ、僧でも両班でも学者でもわけへだてなくなびいて見せるわで、正に地域社会のこざかしい建前上のモラルをメチャメチャにしてしまう役割を見事に果たす。
(娼婦ブネ、その微笑はブネの微笑として人気がある)→
そして最後の女性閣氏(カクッ・村の守護神の代理)だけが、少し違う。彼女だけは、厳しい顔をした神様の代理者であり、その他の人々の悪巫山戯に満ちたドタバタ劇には加わらない。地面に触れることを忌み、常に人の肩の上に乗っている、一種の処女神であり、彼女が臨場することによって、ここで演じられるどんな悪巫山戯も卑猥も、下克上の悪罵も、祭儀として神聖化され許される、ということのようである。
あともう一つ付け加えておきたいのは、まことにユニークな獅子頭(チュジ)の存在である。(チョレンイの写真参照)獅子頭といえば、ユーモラスかコワゲかは別として、狛犬のような仰々しい顔が造形されているものだが、河回(ハフェ)の獅子はそれがない。顔がない獅子なのである。衣紋竹に羽をはやしたようなものがどうもタテガミか何かのシンボルだろうか。それにカスタネットのような口? がついていてカタカタと音を出す。それだけである。獅子というものをここまで省略してしまうというのは、オトボケというかユーモア精神の極地といわざるをえない。
これらの仮面(登場人物)によって河回仮面劇は展開される。
●諷刺と哄笑、卑猥――劇の展開
<神下ろしと路戯(パレード)>
野外劇場での公演では省略されるが、この地の別神(特別大祭)仮面劇は、裏山にある村の神の祠での降神の儀礼で始まる。神が降りると、憑り代(よりしろ)となった竿を先頭に、神の代理閣氏(カクッ)を肩にのせた行列(カクッ以外はまだ素面)が山を降り祭りの開始を触れながら村をめぐる。
(肩の上に乗って舞う閣氏・カクッ)→
<舞童の場>
いよいよ村の広場(今は野外劇場)での劇が始まる。
農楽が演奏され、それにのって全演技者が仮面をつけゆっくりと踊り始める。カクッは肩の上に直立しておごそかな身振りで舞う。一団は広場をめぐり募金をする。↓(農楽の演奏)
<獅子(チュジ)の場>
例の超簡略化された獅子が二匹走り出て激しく闘う。雌雄らしい。最後は雌が雌上位の体位で雄を強姦して勝利する。初っぱなからだいぶエゲツナイが、雌が性的に勝利するというのは豊年を祈る豊饒儀礼らしい。
<白丁(ペクチョン)の場>
屠殺人白丁が登場。続いて牛(前脚後脚二人組のぬいぐるみ)が出てくるが、これがなかなか可愛い造りである。会場中を走り廻るが、特にミニスカートのお客の方に好んで突進する癖がある。何やら仕掛けがしてあるらしく、時々後ろ脚を挙げてお客に向かって小便をひっかけ喝采を博する。 (可愛い牛はミニが好き?)→
やがて白丁が、無造作に一撃でこの牛を倒し、臓物をさばいて心臓と睾丸を取り出す。そしてこれを観客に突きつけ「精力がつきますぜ」などといって執拗に買え買えと勧める。観客が買うまねをして、献金したりする。
そうこうしているうちに、村の有識者たる両班と学者が登場し、「キンタマを売り歩くとは下品な!」と権柄づくで叱るのだが、一筋縄で白丁は引き下がらない。精力剤だから旦那方も買え、と迫る。
←(「精力がつきますぜ」とキンタマをしつこく売り歩く白丁)
精力剤だと聞いたとたん、両班と学者は態度豹変、目の色を変えてキンタマを欲しがって奪い合いを始める。二人で引っ張り合いをするから、白丁は「アイゴー。おらのキンタマがぶっきれるだ!」などと下品な冗談を叫ぶ。
結局貧しい老婆(ハルミ)が出てきて、いい大人がキンタマの取り合いで喧嘩するのに呆れて仲裁し、その場は収まる。
白丁の場は、一見、牛のキンタマというケッタイなものの取り合いという幼児的なドタバタ劇のように見せながら、眼前で地主、学者、極貧の老婆、被差別民という地域社会の序列を180度ひっくり返してみせるのである。
<貧しい老婆(ハルミ)の場>
広場の真ん中に機(はた)を象った道具が持ち出され、老婆がその機を織りながら、苦しい生活の嘆き節を朗々とうたい、やがて観客をまわって募金をする。 (嘆き節を唄いながら機を織る極貧の老婆)→
<破戒僧(チュン)の場>
可愛い娼婦ブネが、なよなよと踊りながら登場し、ひとしきり踊ったかと思うと、急にあたりをうかがい、やがてしゃがんで放尿する。
←(娼婦ブネの放尿シーン)
破戒僧がそれを盗み見てたちまち欲情してしまう。あたりをうかがい、ブネの放尿跡にかけよってはいつくばって臭いを嗅ぐ。相当にエゲツナイ演出である。(ブネの小便を嗅ぐ破戒僧)↓
僧は欲情きわまって、ブネに踊りでさそいかけ、とうとう彼女を獲得し(おんぶして)退場する。
両班の下僕(チョレンイ)などがこれを見て「世も末!」と嘆く。
<両班と学者の場>
両班と学者がボケともツッコミともつかぬとぼけたやりとりをする場である。
扇子で顔を半分隠して上品ぶって出てくるところから、相当に戯画化されているが、ともかく二人は最初から村の有識者として対抗意識を燃やしている。おたがいに虚勢をはってトンチンカンなやりとりを繰り返し、はしっこいチョレンイにさんざんに愚弄される。
←(左が無官の学者、右が両班・とぼけた掛け合い)
ブネが登場すると、二人の虚勢の張り合いは頂点にたっする。
一方が「士大夫(貴族)の息子じゃ」というと一方が「八大夫の子孫だ」という。もちろん八大夫などという位はないが、士→四を倍にした掛言葉である。
「四書三経を読破した」といえば、他方は「八書六経を読んだ」という。もちろんこれも、数が倍になった掛言葉。すると横合いからチョレンイが「あっしだって六経くらいしってまさあ。坊主のバレ経、メクラの眼鏡、薬の桔梗、処女の月経、作男の月給……」などと経ずくしのあまり品のよくない駄洒落を入れる。
このへんは、言葉が分かればもっと面白いのだろう。観客がゲラゲラ笑っていたところをみると、ここに紹介した程度以上の、相当な地口駄洒落が乱舞していたのかもしれない。
結局このかけあい漫才のようなシーンは、全員登場の円舞に移行して目出度い雰囲気になっていく。
(全員の円舞)→
<徴税吏の場>
仮面劇はここで突然終わるのだが、その終わり方が大変シャレている。
皆が目出度く円舞しているところへ、突然、徴税吏別差(ピョルチェ・面が失われているので、イネの役が代行する)がでてきて「税金を払え」と一言叫ぶと、踊っていた人々は一度に白けて、あっという間に退場してしまい、広場は空になり、一切の挨拶抜きで突然劇は終了するのである。
今の野外劇では、このあと、農楽が奏せられ、出演者が皆出てきて仮面を外し、カーテンコールをして、終わる。
←(演技者全員のカーテンコール)
<エピローグ・初夜の秘儀>
観光客向けの野外劇ではこれも省略されている。
徴税吏の場で広場での劇を終えた演技者たちは、裏山の洞の前に戻る。
まだ日のある内は農楽などで踊ったりするが、日が暮れると村人を帰らせ、演技者たちも仮面を管理役に返還し、管理役、関係者数名、両班、閣氏だけを残して立ち去る。
そこで、ゴザをひき、村人から志願した新郎役(この役を勤めると子宝に恵まれるという)、閣氏が新婦役となって、模擬性交がマジメに演じられる。新婦役は処女とされ「痛い、痛い」とマジメに演じなければならない。洞(河回洞)の神は処女神であり、その神を慰めるためとされ、当然、豊饒儀礼でもあるのだろう。こうして、十年に一度の別神クッは終了する。
●独自のユニークな劇構造――能・狂言と比較して
仮面劇といえば、日本では能・狂言が想起され、それとの関連を考えたくなる。
韓国仮面劇の日本での代表的な紹介者金両基氏は「わたしは舞楽面から能面に移行する中間的位置に河回仮面をすえてみた。すると一つの流れを感じるのだ。」(韓国の仮面・京都書院文庫1998)とのべている。
確かに、形態的に眺めるなら、河回の仮面は鳳山の仮面よりずっと日本の能面に近いという印象を与える。鳳山→河回→日本の能面、と並べて、「ほらご覧なさい、土俗から洗練へ、具象から抽象へ、仮面というアートの結晶していく様が目に見えるではありませんか」といえそうにも思える。
しかし、それは違うと思う。
実は、私も、河回の劇を直接みるまでは、なんとなくそんな感じをもっていた。
NHKが鳳山(ポンサン)と河回(ハフェ)の仮面劇を紹介した二時間近い番組がある。劇の実際や一つ一つの仮面の説明、再興に努力した安東の人々の紹介まで、大変詳しくまとめられていて、有意義な面白い番組だと思う。この番組の制作者も、やはり、鳳山、河回の仮面と日本の能面の関わりに興味があったらしく、日本の能面師を同行して感想を求めている。
だが、日本の能面師は、ことに、河回の面と日本の能面の関連を問われたのにたいして、動きが大きい河回の劇の仮面は彫りが深く、動きの少ない能の面は掘りが浅い、というコメントを述べただけで、それ以上のことはいわないのである。
私は、能面を彫っているこの人にとって、河回の仮面はある「違和感」があったのではないか、と秘かに思った。むしろ、関連性を考えるよりも、形態の何とはない類似性があるにも関わらず、これは非常に違うものだ、という直感が大きかったのではないかと。
既に述べたように、河回の仮面は、地域社会の階層性……権威や貧富、といった社会生活を横断的に捉え、そこから析出するモティーフを仮面とストーリーに凝縮したという劇である。
それにたいして、日本の能・狂言にはそういう社会性はない。
古い室町期の猿楽のなかには、直接に公家の貧困などの社会ネタを扱ったものもあったらしいが、それらは捨象され、今に伝えられるのは、社会的生活的なリアリズムを超越した人間喜劇、人間悲劇として凝縮されていった劇である。下克上の激しい中世という時代の中で醸された劇であるのに、そのリアルな時代、地域社会の記憶を具体像としてはほとんど留めぬ「純粋演劇」として完成していったというのは、考えてみれば不思議な、希有の出来事といわざるをえない。
例えば、「釣狐」という狂言の大曲がある。老練な猟師に、家族の全てを奪われ、孤独のどん底におちこんだ老狐が、必死の巻き返しをはかる。彼は猟師の叔父に化けて猟師の家に乗り込み、殺生を止めよ、と説教をする。一時はこれが成功したかに見えたが、老練な猟師に見破られ、「ケーン」という一声を残して橋掛かりの向こうへ……つまり、さらに孤独な暗黒の奥山へと消えていく。
この老狐の在りように、「絶対的窮乏化」に苦しむ「民衆」像を重ねることも出来なくはないし、どうしても化け切れぬ生き物の本性の悲しみを見るのも勝手である。しかし、劇自体はそういう具体の世界を超えて、猟師をも老狐をも捉えて離さぬ、生きようとするものの情念と孤独への怖れを垣間見せようとするかのようである。一時間を超える大曲は、「ケーン」とないて橋掛かりへと跳躍する、その最後の一瞬にモティーフの全てを凝縮しようとする、すさまじい劇構造となっている。
このように、河回の劇と能・狂言の間には、やや似たような感じを受ける仮面を被りながらも、劇として非常な違いがある。
わずかに海峡をへだてた半島と島国の間で、似たような仮面を被りながら、このように大きな違いがある劇が育ち、演じられているということに、私は、謎というか、大きな興味を感じるのである。
(2000/6/12) 頁頭へ戻る
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